小塩丙九郎の
歴史・経済データバンク

18. 日本第3の大経済破綻


〔1〕輸出産業の崩壊が始まった

(4) 産業国家としての日本がたどってきた道

 日本は、中世末から近世前半にかけて、つまり戦国時代の頃から江戸時代の初め頃まで、大資源輸出国でした。今の日本からは想像できないことですが、金、銀、鉄、銅、何れの鉱物もふんだんに採れました。ですから日本の貿易は、それらの鉱物資源を高度の技術で精錬して純度の高い高品質の鉱物製品として輸出し、白糸(高級生糸)、縮緬(高級織物)などや朝鮮人参(薬剤)、或いは茶を輸入するというようにして構成されていました。さらには、非合法にではありますが、日本で生産された武器も多量に輸出されました。

 鉱工業製品の販路は、東アジアからインド亜大陸、さらにはヨーロッパにまで及びました。特に銀は当時の国際通貨であり、それは日本に多くの富をもたらすとともに、それを輸入した東インド会社が大規模な国際交易を行うことによって稼いだ莫大な富がオランダを豊かにして、オランダが世界で海洋国家としての覇権を維持するのに大いに貢献しました。オランダが、鎖国後も幕府と緊密な関係にあったのは、相互に強い依存関係があったからですし、日本が強力な軍備を維持しなくてよかったのは、国内政治が安定したというのみならず、徳川前半期の日本が、オランダという当時世界最強海洋国家に日本の基幹貿易線である東アジア海域における軍事力に基づく秩序維持を期待できたからです。

 しかし、徳川時代中期に鉱物資源は枯渇しました。18世紀に日本の経済成長が止まったのは、1つは干拓できる土地がなくなって米を中心とした食糧生産量が拡大しなくなったことですが(詳しい説明はここ)、2つには、併せて豊富な輸出鉱工業製品を失ったからです(詳しい説明はここ)。そしてそれ以降、日本の経済構造と貿易体制は、脆弱〈ぜいじゃく〉になりました。

 日本の貿易体制は、鉱工業製品を輸出して特産物を輸入するものから、中国から得た技術を素に生糸を中心とした繊維製品や茶を(この輸出品を開拓したのは8代将軍徳川吉宗です〈その説明はここ〉)、或いは俵物〈たわらもの〉と呼ばれる海産物加工品を輸出して(この輸出品を開拓したのは老中田沼意次です〈その説明はここ〉)、貨幣制度を維持するために必要な銀などの鉱工業製品などを輸入する形に変わりました。そしてその貿易の形は、徳川時代後半期から明治時代を経て20世紀前半期まで変わることはありませんでした(その説明はここ)。つまり、近世末から近世前半期にかけては、日本は鉱工業立国であったのですが、近世後半期から20世紀前半期までは、農水産業立国となったのです。

 これは国として発展したと言うのでしょうか?、それとも後退したと言う方がいいのでしょうか? 少なくとも産業国として近代化をどんどんと進めたとはっきりとは言うことができないことには、間違いありません。

 17世紀に、日本からの豊富な銀の供給を断たれたオランダは強い通商能力を喪失し、その後スペインやイギリスに海洋国家としての覇権を奪われていきます。オランダより与えられる情報にのみ頼るという官僚の前例主義に基づき、オランダの弱体化とその意味するところを機敏に読みとれなかった日本は、何の準備もないままに、オランダが残した力の空白地域に、先ずは19世紀初期に南下するロシア、そして19世紀半ば以降はそれに加えてアジア進出を強めるアメリカが侵入して日本に直接の脅威を与えることを甘受しなければならなくなりました。そして19世紀半ば過ぎにそれらの国々と海洋国家としての実力を拡大して北上してきたイギリスに無理やり開国を強いられ、国の経済運営能力を失くした徳川幕府政権が倒されて、明治政権が生まれることになりました(その詳しい経緯はここ)。

 20世紀後半以降、鉱物、エネルギー資源が国内でとれないという事情が変わらないことに加えて、有効な農業政策の構築に失敗して、日本は食糧についても大幅に輸入依存を強いられることとなりました。日本人の高水準の消費生活を維持するために必要な鉱物、エネルギー資源、食糧そして日本では生産できない演算用半導体などの高性能工業製品を得るために、他国を圧倒する高水準・高品質の工業製品とソフト製品を生産、輸出するという貿易体制を堅持することが必須となりました。

 農業生産構造を最先端化して、食糧の自給体制を整えるということは、必ずしも不可能ではありませんが、1950年代以降に農業技術が格段の進化を遂げ、農業先進国と開発途上国両方の農生産物生産量が爆発的に拡大して、農産物の価格が鉱物・エネルギー資源、鉱工業製品、或いはソフト製品に比べて格段に安くなってしまったので、農業生産の拡大は、もはや近代的な大国を支えることはできなくなりました。

 先進国の中では、例外的にオランダ(主要輸出品はトマトとパプリカ)とイスラエル(主要輸出品はグレープフルーツとトマト)が、コンピュータ管理された先端技術型農業を行うことによって多額の所得を得て国を富ませていますが、しかしそれらは中小規模国であるという理由で国内産業に大きな役割を占めているのであり(下のグラフを参照ください)、日本が参考にできる事例を提供しているものではない、と言うのが小塩丙九郎の考えです。


出典:UNCTAD(国連貿易開発会議)データを素に作成。

 数学を重要視しなかった報いとして、IT産業の開発に失敗し(その説明はここ)、さらにコンピュータソフト或いはセキュリティなどのソフト産業も構築ができない日本は、専ら第2次産業、つまり製造業、の振興による立国を図らざるを得なくなりました。

 しかしその日本経済を支える最後の柱である製造業の輸出力が音を立てて崩れつつあると言う事実を認識しなければなりません。そのことを正しく認識しないと、日本の停滞し、或いはさらに崩壊に向かう日本経済を立て直すための方策を考えることはできない、と小塩丙九郎は考えるのです。

2017年1月4日初アップ 20〇〇年〇月〇日最新更新
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