小塩丙九郎の
歴史・経済データバンク

21. アメリカの格差問題


〔4〕アメリカの格差を解消する政策

(4) 経済倫理の復活(前編)

 このとき、フリードマンが主張したように、負の所得税制を導入して(その説明はここ)、所得の再配分を機械的に行って政府官僚と福祉専門家の恣意的な関与を極限にまで下げていたら、国民のほぼすべての人が税制によって民間市場で供給される医療や高齢者介護を含む社会福祉事業を適正な価格で購入できたはずです。そしてそれでも不足するきめ細かな対人サービスを、非営利の民間社会福祉団体が供給し、その財源や或いは実地の業務を人民の慈善によって得られたはずなのです。

 アメリカ連邦政府の社会福祉対策事業費予算はGDPのおよそ2割ですが、アメリカの寄付金総額のGDPに対する比率はおよそ2パーセントですから、その半分の1パーセントが社会福祉分に充てられるとすると、必要な社会福祉対策費総額の5パーセント程度は慈善によって賄えるという計算になります。これは、社会福祉事業支援費の大半を所得の再配分制度により確保し、医療を含む社会福祉サービスを市場で供給して、所得再配分だけでは不十分な低所得者のための一率の基準で行うことは不適当なきめ細かな対人サービスを慈善で賄う、というバランスのいい社会福祉が実現できたでしょう。

 当時の大混乱の中で、そのように理想的な抜本策などとれるはずはないではないか、という反論が聞こえてきそうですが、例えば住宅問題については、連邦政府が住宅建設についての手厚い支援策を講じる中で、現在にまで続く資産住宅を建設、維持し続けられる恒久的で理想に近い住宅政策体系がつくられています(その詳しい説明は現在準備中です)。緊急対策であっても、向かう方向を間違えないということが大事だ、と小塩丙九郎は考えます。

 そうして適切な施策提携の実現を目指すと言う姿勢を崩さないでいれば、人々の同胞意識を高い水準で維持し、それが国家結合の強い力となったはずです。戦争が勃発したときの国防意識だけが、国の統合の力であるというのは不健全なことです。戦争は団結の意識も醸成しますが、それは敵に対するトゲトゲした敵愾心〈てきがいしん〉を裏腹にもつものであって、国内での分裂を誘うこともあります。第2次大戦中に排日運動が高まり遂には日系アメリカ人を隔離したこと(1942-46年の強制収容所の設置)は、その典型例です。或いは、冷戦下のいわゆる“マッカーシー旋風”(1950年代)の中で行われた敵愾心に満ちた“赤狩り”(共産主義者の排除)は別の例です。これらは、本来あるべき国の形を壊します。

アメリカの最高所得税率 アメリカ軍兵士の監視下で強制収容先に運ばれる日系アメリカ人
〔画像出典:Wikipedia File:Arcadia, California. Persons of Japanese ancestry arrive at the Santa Anita Assembly center from Sa . . . - NARA - 536004.jpg 〕

 平和時に、人々が強い同胞意識を自然にもち続けると言うことが、経営者に適正な労働者管理意識と適正な企業利益の労働者への配分方針を呼び起こすはずです。

 2000年代に入って、アメリカの企業は付加価値額のうちの労働者への配分割合を大幅に減らしています(このグラフを参照ください。またどうして下げられたかの説明はここを見てください)。これは、グローバル化が進んで、高度の頭脳労働以外の労働については世界の労働市場の賃金水準を上回る賃金を国内の労働に支払う必要がますます小さくなっているからですが(その説明はここ)、しかしそれで浮いた分を配当金の配分割合を増やすのに使ったというのでは、経営者のもつ経済倫理として適正なことだとは言えません。

 1980年代以降の所得格差の拡大は、最高所得税率が下げられてリスクを採ってベンチャーを起業しようと言う人が増えてアメリカに第3の産業革命をもたらしたという正当性があるのですが、2000年代以降の所得格差の拡大にはその正当性は失われている、と小塩丙九郎は考えています。

2017年1月4日初アップ 20〇〇年〇月〇日最新更新
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