小塩丙九郎の
歴史・経済データバンク

21. アメリカの格差問題


〔4〕アメリカの格差を解消する政策

(3) 経営者の経済倫理の喪失(後編)

 大恐慌が起こった当時に大統領であったハーバート・フーヴァー(共和党)が有効な策を採れないままに退任した(任期は1期のみ)あと、次いで大統領職に就いたフランクリン・ルーズヴェルト(民主党)は、“ニューディール政策”と呼ばれる雇用創出のための公共事業や新たな住宅建設支援策と並んで、連邦政府初の社会福祉事業制度を開始しました。そのために立法されたのが、1935年の社会保障法です。

 社会保障法によって提供されたのは、主に老齢者年金制度と失業保険制度でした。それまでは、ヨーロッパで社会福祉制度が整備されつつあったのに対して、アメリカではキリスト新教の観念に基づく自助の原則が大切にされ、連邦政府が個人の社会保障に介入することは嫌われていたのですが、「個人の努力では克服できない困難が起きることがわかった」ため、連邦政府の援助を多くの国民が求めるようになったと言うのです。この説明は、いわゆるリベラル派に属する社会保障専門家の説明ですが、多くの人民はその様な理屈よりは、最低限の生活も貯蓄を取り崩すなどの自力で賄えないと言う状況に追い込まれていて、とにかく政府の補助が欲しいということであったのだと思います。

 リベラル派に支えられた民主党の代表として選出されていたルーズヴェルトは、民間企業家の強い反対を押し切り社会保障法を成立させました。これによって民主党は南部の地域政党と言うイメージから脱却して人民の福祉を第一とする政党へと発展させたのです。社会福祉政策をアメリカも実施すべきと言うのは、大恐慌以前からのリベラル派と呼ばれる人たちの主張であったのですが、大恐慌と言う状況で自分たちの主張の実現をそれらの人々は望み、ルーズヴェルトはその考えを採ったわけです。

 社会保障法で実現された老齢年金制度や失業保険制度は、大恐慌に対する緊急措置でありつつも、制度としては応急的なものではなく恒久的なものとされました。しかし当時既に、老齢年金制度は30年後には破綻すると言うことがわかっていました。それは将来には高齢者人口比率が急上昇することが既に予測されていたからです(65歳以上人口比率は1930年には5.4%、1960年には9.2%;下のグラフを参照ください)。しかしルーズヴェルトはその予測計算結果を公表することは差し控えています(アンドル・アッカンバウム著『アメリカ社会保障の光と陰』〈日本版2000年〉より)。

アメリカの高齢者人口比率
出典:杉森 蘭著『社会保障とアメリカ―1935年社会保障法の成立から考える―』(2003年、on-line Pdf.)掲載データ(原典:“Developments in Aging 1986〈U.S. Senate, Special Committee on Aging〉)を素に作成。

 そうしなければ、共和党議員などの賛成を得られないと判断したのでしょうが、しかしそれを緊急時を乗り越えるための方便としてやむを得なかったと納得していいものかどうか(1935年社会保障法に基づき創設された公的年金制度は、新法制定からわずか4年しか経たない1939年には法改正がされて完全準備金方式から賦課方式に移行し、かつ公的年金に関する雇用者と被雇用者がそれぞれ支払う税率は、当初所得の1パーセントであったのものが1950年以降、会計の赤字化の恐れに追い立てられるようにして急速に引き上げられました〈下のグラフを参照ください〉)? 応急策は応急策として、恒久的な制度化は大混乱が収まってからじっくりと時間をかけて行えばよかったのではないか、と小塩丙九郎は考えます。

アメリカの公的年金に係る所得税率
出典:堀勝洋著『第4章 年金制度』(社会保障研究所編『アメリカの社会保障』〈1989年〉収蔵〉)掲載データを素に作成。

 経済学者のミルトン・フリードマンも、「ニューディールの中に含まれていたプログラムのいくつかは、大恐慌によってつくり出された緊急事態に対してだけ対処するように工夫され、厳密には一時的なものとしてしか、計画されていなかった。ところが、その暫定的なプログラムのいくつかは、政府のプログラムがつねにそうであるように、恒久的なものとなってしまった」と評しています(M&R・フリードマン著『選択の自由〔新装日本語版〕』〈2012年〉より)。破綻に備えて平時から十分な準備を行っておかなければ、後の時代を誤らせることになると言う一つの例です。

 民主党やリベラル派と呼ばれる人たちは、大恐慌はルーズヴェルト大統領が実施した、社会保障法制定を含むニューディール政策のために克服されたと主張するのですが、経済学者のミルトン・フリードマンは、大恐慌は結局のところ第1次世界大戦がもたらしたヨーロッパの連合国からの軍事特需による経済規模の拡大であったと反論しています。そして小塩丙九郎もそう考えることは、どうして大恐慌が起こり、それを10年間も克服できなかったのかと言うことについて詳しく説明した別のところ(ここ)で明らかにしている通りです(下のグラフも参照ください)。

アメリカの1人当たり実質GDP
出典:アメリカのMeasuring Worth Com.のデータベースによるデータを素に作成。

 こうして社会福祉を人民の自由意思に基づく慈善によらずに、或いは企業家の経営には期待しないで、連邦政府に(保健対策の一部について州政府に)責任を預けることになったことが、アメリカ建国の精神となったキリスト新教、プロテスタンティズム、の精神を弛緩〈しかん;緩める〉させることになったのではないか、と小塩丙九郎は考えるのです。必要な社会福祉対策費の9割以上を政府が負担するのであれば、企業経営者を含む人民がわざわざ費用を負担し、あるいは自ら献身して、労働者の福祉を守ることを考えなくてもいいことになります。これはアメリカ憲法前文に言うアメリカ建国の目的であった一般的福祉の実現を市民の義務から政府の義務へと矮小化したことになるのではないか、と小塩丙九郎は考えます。

 社会保障法制定は、ソーシャル・リベラリズム(社会自由主義)を信奉するリベラル派の勝利であるのですが、その結果として人民一般の慈善の精神が緩むと言うことは、同胞精神(或いは隣人に対する同情)のレベルを下げ、そのことがアメリカ国民の間の所得格差拡大という結果に繋がったのだと考えます。1960年代から連邦政府の社会福祉予算は急速に増えているのですが(このグラフを参照ください)、このことがアメリカ人労働者の所得(給与等)を増やさないと言う経営者の方針を後押しした可能性があります。

 政府の社会福祉対策予算が増えていなければ、(1人当たり)GDPが増えて豊かになった部分については(上のグラフを参照ください)、すべてのアメリカ人労働者に一定の配分を行わなければならないだろうという経営者の同胞意識に根差した心情を揺さぶったはずです。しかし社会福祉対策費をどんどんと増額し、しかもそれが所得税や法人税を財源としているというのであれば、経営者が積極的に労働者の賃金を増やさなくてもいいだろうと考えても、そのことを不道徳だと批判はできないでしょう。

 大恐慌に突入した初期の頃は、経営者は労働者を直ちに解雇することはしないで、タイムシェアリング、つまり労働者一人ひとりが働く時間を短くして何とか首切りを避けようと努めたのです(下のグラフにインフレ要素を取り除いたGDPの対前年伸び率と失業率の関係を示していますが、失業率の動向とGDPの対前年伸び率の2年間移動平均〈逆目盛で表示〉はほぼピタリと一致しています。つまり、常にGDPの変化より失業率の変化が1年以上は遅れていて、売り上げが落ちたからと言って直ちに労働者が解雇されているというわけではないということがわかります)。

アメリカの実質GDPの伸び率と失業率
出典:失業率はアメリカのBureau of Economic Researchの統計データを、GDPはアメリカのMeasuring Worth Com.の統計データを素に作成。

 しかしやがて、働く時間を短くした結果下がった賃金では、世帯を維持できないほどの限界に至ったので、そこでやむを得ず大量解雇が始められました。経営者も労働者の福祉を思い、ぎりぎりまで踏ん張ろうとしたのですが、大恐慌の嵐の中でそれが限界に達してしまいました。その無力感の中で、経営者の経済倫理は次第にか細いものとなってしまってのだ、と小塩丙九郎は理解しています。

2017年1月4日初アップ 20〇〇年〇月〇日最新更新
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