小塩丙九郎の
歴史・経済データバンク

21. アメリカの格差問題


〔4〕アメリカの格差を解消する政策

(2) 経営者の経済倫理の喪失(前編)

 第2次大戦の勃発は、参戦しないアメリカにヨーロッパの連合国からの軍事特需を提供して、経済状態は急激に回復して、政府の社会福祉事業の必要性も低下したのですが、1941年暮れの日本の真珠湾攻撃によってアメリカは東アジアとヨーロッパの両面で戦争を始めることとなり、下げられるはずの所得税率は逆に大きく上がってしまいました(このグラフを参照ください)。最高所得税率は、なんと94パーセントに達しています。

 潤沢になった連邦政府予算の中で、政府の社会福対策予算が大きく削減されることはありませんでした(このグラフを参照ください。国防予算以外の政府支出の対GDP比率が若干下がっているのは、軍事特需経済によりGDPが膨張したためです)。その傾向は1953年代初頭まで維持され、1953年をピークとして国防予算が大幅に減額されると、その減額分のほぼすべてが社会福祉予算に回され、連邦政府予算総額のGDPに対する比率はおよそ2割の水準を保ったままで、その傾向は2010年代まで維持され続けています(例外はリーマンショックに端を発する大景気後退対策費が組まれた2009-11年)。先ほどアメリカの国の形を変えることとなるといったのは、このことです。

 こうして1920年代まで福祉対策は、慈善事業を中心として執行されていたのが、1930年代の大恐慌を契機として福祉対策費の大半の部分を連邦政府予算で賄うようになったのです。(保健対策費としては一部州政府予算で対応)。つまりそれまでは、地区の教会が中心となって、地方自治体や非営利慈善団体と連携しながら困窮した隣人に必要な救済の手を差し伸べていたのが、いきなり連邦政府が巨大な予算とともに介入するようになったのです。

 もちろんこの背景には急激な失業率の上昇があります。1930年代には、アメリカのGDPは急激に下がりました(下のグラフを参照ください)。1920年代までには通常失業率は5パーセント程度であり、第1次大戦後の不景気の時にも最大12パーセントにしか上がっていませんでしたが、それが1933年には25パーセントにまで達しています(さらに下のグラフを参照ください)。大恐慌が起こった当初は、企業は1人当たりの労働時間を短くすること(ワークシェアリング)によって解雇を避けていたのですが、1931年にはそれも限界に達して、遂に大量解雇が一斉に始まったのです。

出典:アメリカのMeasuring Worth Com.のデータベースによるデータを素に作成。

失業率
出典:アメリカのBureau of Economic Researchの統計データ(1900-54年)及びアメリカBureau of Statisticsの統計データ(1948-2015年)を素に作成。

 こうして発生した大量の失業者とその家族を救済することは、教会や自治体の連携、或いは非営利の慈善団体の活動が対応できる限度を超えていたので、連邦政府の介入はやむを得ないことであったと言えるでしょう。

 しかしやがて、働く時間を短くした結果下がった賃金では、世帯を維持できないほどの限界に至ったので、そこでやむを得ず大量解雇が始められました。経営者も労働者の福祉を思い、ぎりぎりまで踏ん張ろうとしたわけです。しかし大恐慌のすさまじさは、そのような努力を吹き飛ばしてしまいました。そしてそのとき示された経営者の経済倫理は、長引く大恐慌の中で次第に失われていったのです。社会福祉の責務を人民から取り去ってしまったことは、経営者の経済倫理の低下を招いてしまいました。

 ちなみに、多額の税金を投入した連邦政府の社会福祉事業は、こと失業率に関する限りほとんど効果を上げてはいなかったということも、上のグラフからわかります。失業率は、第2次大戦勃発によって生じた軍事特需による経済拡大があって、初めて低下したのです。

2017年1月4日初アップ 20〇〇年〇月〇日最新更新
©一部転載の時は、「『小塩丙九郎の歴史・経済データバンク』より転載」と記載ください。



end of the page