小塩丙九郎の
歴史・経済データバンク

18. 日本第3の大経済破綻


〔5〕ハイパーインフレは避けられない

(4) 円の発行額は正常値の8倍を超えた(後編))

 リフレ派のみならず、日本の多くの経済学者が高く評価しているのが、戦前の1930年代に大蔵大臣を務めた高橋是清です。高橋是清の業績と小塩丙九郎の評価は別のところ(ここ)で詳しく論じているところですが、ここでは近年の日銀の黒田東彦〈はるひこ〉総裁とリフレ派のリーダーと言われる岩田規久男日銀副総裁が、彼らが尊敬する高橋をはるかに超えたということを話したいと思います。

 是清は、1929年末のウォール街での株価暴落に端を発する世界恐慌の影響が日本にも及ぶに及んで、国債を大量発行して財政を拡大し、それで世界で一番早く大恐慌の惨禍から抜け出したことが評価されています。では是清が行った積極金融・財政策とは一体どの程度のものであったのか? それを表したのが下のグラフです。

出典: 以下のデータをもとに算出。
    GDP(戦前):日本統計協会著『日本長期統計総覧 第3巻』(1988年) GDP(現代):統計局『国民経済計算』、マネタリーベース(戦前):日本統計協会著『日本長期統計総覧 第3巻』(1988年)マネタリーベース(現代):日本銀行データベース


 是清は犬養内閣の下で1931年に蔵相となり、1936年の2・26事件で軍の若い将校たちに暗殺されるまでその任にありました。その間、国債残高のGDPに対する比率は43パーセントから59パーセントへと16パーセントポイント上昇しています。それより60年後の同じ長さの期間に、国債残高のGDPに対する比率は41パーセントから54パーセントまで13パーセントポイント上昇していますので、60年隔てた戦前の日本と現代日本はほぼ同様の財政拡大策を採ったということになります。そしてその時点で、是清は財政拡大の行きすぎを心配して再び歳出を抑えようとして軍部に暗殺されたのです。

 そして一方現代日本は、公債残高のGDPに対する比率を208パーセントまで高めているのです。これは戦前是清を暗殺した後の陸軍主導の内閣が到達した144パーセントと言う比率を4割以上も上回っています。

 そして積極的金融策を採ったと言われる是清の下で、マネタリーベースのGDPに対する比率は10パーセントで、是清在任中ほとんど変化していません。GDPが増えたのに合わせただけの通貨の追加発行を行っているだけです。一方60年後の現代日本でもその値にはほとんど変化はありません。つまり、是清と、それから60年後の日銀官僚は、経済停滞に対してほぼ同程度の施策を講じているというわけです。そして是清が現代日本のリフレ派を含む多くの経済学者から高く評価される一方で、同様の措置を講じた現代日本の日銀官僚は、リフレ派からは“臆病者”と呼ばれているのです。

 そしてマネタリーベースのGDPに対する比率は、戦前に陸軍官僚が主導した内閣が到達した最高値である24パーセントをはるかに超える69パーセント(2015年末)にまで至っています。

 これら2つの指標の60年間離れた日本での動向の初期の類似と、その後の大違いは、リフレ派などの積極的財政・金融拡大を主張する経済学者の是清評価は、まるで的外れと言うことを意味している、と小塩丙九郎には思えるのです。同じ対策を講じた1930年代初頭の是清を積極財政家として評価しながら、同じことをした60年後の日銀官僚を臆病者と呼ぶことは、まるで辻褄が合いません。

 この2つのエピソードから導き出される発見は、次のようです。つまり、1930年代初頭の日本の経済構造と、1990年代以降の日本の経済構造は本質的にまったく別物だと言うことです。本質的に違った構造をもつ経済構造に対して、同じインパクトを与えたとしても、一方は敏感に反応し、他方はまったく反応しない、それは当然のことです。それ以外に、是清の与えた力を受けた1930年代初頭の日本経済の動き方と、1990年代の日本経済の動き方が違うことを説明できる論理はあるでしょうか?

 1930年代初頭の日本は、まだ新興国の段階にあり、殊に産業技術は未成熟でした。つまり、財政的なテコ入れを行い景気を刺激すれば、外国からの技術を導入して生産性を向上して経済規模を拡大すると言うことも可能であったと思います。一方、1990年代の日本の産業技術は、アメリカが第2の産業革命で開発した技術にカイゼンを加えると言うことでは成熟し切った段階に至っており、一方、ベンチャーの企業と発展を認めないことから、アメリカが第3の産業革命で獲得しつつあった先端産業技術は手に入れることができず、その結果、財政・金融刺激を加えても、生産性を向上する力を失ったまま経済停滞せざるを得ない状況に陥っていたのです。それが、小塩丙九郎の1930年代初頭と1990年代以降の日本の違いの説明です。

2017年1月4日初アップ 20〇〇年〇月〇日最新更新
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