小塩丙九郎の
歴史・経済データバンク

18. 日本第3の大経済破綻


この章のポイント
  1. 戦国時代から江戸時代初期にかけての頃まで、日本は金、銀、銅の産出量が豊かな鉱業輸出国だったが、江戸時代後期以降第2次大戦直後に至る頃まで、生糸と茶の輸出に頼る貿易赤字国になった。

  2. 戦後の高度成長は、工業製品の輸出を伸ばすことによって実現されたが、日本の輸出産業は、2010年代に入ってから崖を転げ落ちるような勢いで崩壊を始めている。

  3. 日本の輸出産業の崩壊は、先端工業技術開発に失敗した彼であり、その水準は今アジア新興国に追い抜かれつつある。

  4. 政府官僚と多くの経済学者は、世界標準ではない円表示の経済指標に拘り、また日本とアメリカの物価上昇の速さの大きな違いを無視した科学的ではない名目の円/ドル為替レートを円安状態に管理することに精力を注いでいるが、それは無意味なことだ。

  5. 日本の輸出産業が躍進すると、その力を評価して円高になるのであり、日本の輸出量の増大と為替レートの円高方向への変化は並行してる。円安は経済力の弱さの現れであり、円安にして輸出力が増強されるわけではない。

  6. 円表示の輸出入額や経常収支は日本の経済実態を反映していない。ドル表示の貿易収支や所得収支を追いかけると、2020年代初頭には、日本の慶応収支が赤字になることは確実に見込まれる。

  7. 政府に600兆円を超えると言う可処分資産はなく、国債の積み上がりは、政府の財政破綻にそのままつながる。

  8. 建設国債が買い替えられると実質的には赤字国債となるはずであり、それを含めた赤字国債残高は、政府が発表するものよりさらに大きく、日本の国債は破滅の土壇場にある。

  9. 大発行される日本の国債は、日銀だけが買い上げており、銀行その他の機関はどこも国債を買い増すことはなく、殊に銀行は政府の指示により国債を大量に日銀に売っている。今後、日銀以外に国債を多量に買う者はいない。

  10. 日銀が国債を買えるのは、実体のない資産を根拠として発行された巨額通貨、円、であり、その発行残高のGDPに対する比率は、アメリカの最盛期をはるかに超え、あるいは戦前の水準も大きく上回り、正常値の8倍を超えている。

  11. 通貨が大発行されてもインフレにならないのは、追加して発行された通貨、円、がすべて銀行の金庫に眠り続けているためだ。

  12. 日銀は政府から直接国債を買うことを財政法で禁止されていますが、2020年代初頭には、日銀が銀行から買える国債はなくなり、日本政府が発行した赤字国債を国内で買える、あるいは買う者はいなくなる。

  13. 2020年代初頭に経常収支は赤字になって日本経済の弱体化が世界の人の目に明らかになり、政府は国債を国内市場でさばけなくなる。ここで、日本政府の今までのような形での経済運営は完全に頓挫し、日本第3の大経済破綻に至る。


〔1〕輸出産業の崩壊が始まった

(1) 経済学者が無視する基本指標(前篇)

 経済学者が無視する基本指標は、まずはアメリカの消費者物価指数です。日本とアメリカでは、消費者物価指数の変化の大きさがまるで違います。日本では、近年ほとんど変わりませんが、アメリカでは長い間年2から3パーセント上昇し続けています。

 例えば、1988年の消費者物価指数を100とすると、2016年の日本の消費者物価指数は115ですが、アメリカのそれは203です(下のグラフを参照ください)。つまりその間、日本の消費者物価が15パーセントしか上がっていないのに、アメリカのそれは2倍になっているということです。これは、この間日本の円の価値が大きく変わっていないのに、ドルの価値は半分になっているということを示しています。

出典:小塩丙九郎が作成。

 このことは、経済学者が無視する2つ目の重要な指標が存在することを意味しています。1988年の(年平均)円/ドル為替レートは1ドル=128円でした。それが2016年には1ドル=109円になっています。つまり、この間19円だけ円高になっています。そう経済学者は、言うのです。

 しかし、その間にアメリカのドルの値打ちが半分になっていることを思い出してください。価値が減らないでいる円と、価値が半分になってしまったドルの交換比率をまったく同等に扱うのはヘンだということに、若い皆さんは直ぐ気づくでしょう。そこで、その間の日本とアメリカの物価変動の違いを191円となります(上のグラフを参照ください)。これを実質円/ドル為替レートと言いますが、これが1988年の1ドル=128円と比べられる本当の(実質的な)円/ドル為替レートです。

 つまり、1988年から2015年の間に円/ドル為替レートは、63円も円安になっているのです。これは円高が急激に進んだ原因となった1985年のプラザ合意があった前の為替レートにおおよそ匹敵する水準です。つまり、1985年のプラザ合意によって超円高になったのですが(このグラフを参照ください)、1987年から現在の間に円/ドル為替レートは元の水準に戻っているのです。もし、プラザ合意前の円/ドル為替レートを超円安だと言うのであれば、2016年は超円安の状態です。

 さらに言うと、経済学者が円高が進んでいたと主張する2007年から2012年までに至る間、つまり1995年から2007年までの間、1988年を基準とした円/ドル為替レートは、1ドル=107円から1ドル=184円へと大幅な円安が進んでいました。2007年から2012年までの円高は、その大幅円安の一部を取り戻したにすぎません。そして2013年以降の政府の円安政策によって、円/ドル為替レートは、再び円安傾向に転じ、元々大幅に円安であった状況をさらに円安にしてしまい、その結果が、1988年の1ドル=128円を2016年の1ドル=191円まで超円安にしたということです。

2017年1月4日初アップ 2017年2月21日最新更新(2016年データを追加)
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