小塩丙九郎の
歴史・経済データバンク

16. 東大法学部と政府官僚


〔2〕戦後の官僚たち

(5) “小泉-竹中改革”は改革ではなかった

 余談にはなるのですが、いわゆる「小泉−竹中改革」(2001-06年)を大改革であるとは小塩丙九郎は考えてはいないと言うことに触れておきたいと思います。そうしないと、既存の体制が改革を行った実績を小塩丙九郎は無視しているという批判が、若い皆さんの間に起こるかもしれないことを恐れるからです。


美濃部達吉と穂積八束
小泉純一郎(左)と竹中平蔵(右)
〔画像出典:Wikipedia File:Junichiro Koizumi (cropped) during arrival ceremony on South Lawn of White House.jpg (小泉純一郎)、File:Takenaka Heizo 1-1.jpg(竹中平蔵)〕 〕

 小泉−竹中改革を一番評価したのは、皮肉なことに、小泉を評価しないと標榜する評論家の立花隆ではなかったかと思います。いつものことながら、立花の評論はユニークです。そして彼の視点と言うのは、日本とアメリカの角逐は1930年に始まったものであり、1945年に日本が勝手に負けたが、その後の経済戦争で日本がおおいに勝ち進んだために、日本の経済体制を壊してやろうと考えたアメリカ政府が、経済実態をよく理解しない小泉首相をたきつけて、日本経済を支える郵政体制(勿論郵便業務のことを言っているのではなく、郵便貯金と簡易保険により集めた巨額〈350兆円〉の資本を素にした「国家資本主義体制(=1940年体制)」と立花が呼ぶもの)を壊すのが手っ取り早いと考えて、仕組んだのが小泉−竹中改革だと言うのです(立花隆著『滅びゆく国家』〈2006年〉より)。

 ジャーナリストらしい、面白いシナリオ構成ではあるのですが、この歴史・経済データバンクの他の多くの部分での著述を既に読んだことのある若い皆さんには、それが大いに的外れであることは理解されると思います。立花が主張するように、日本の多くの政治指導者と呼ばれる人たちが、深い関係をアメリカ政府や機関と持っていいたことは相当確からしいのですが、しかし、日米関係の歴史はそれだけのことによっては決まらないもっと広くて深い両国それぞれの政治経済構造のあり様によって創られてきた、と小塩丙九郎は考えています。

 小泉ー竹中は郵政体制を壊したと言っていますが、実際には1社体制が分社体制に変わっただけで、しかもその株主は依然として政府です。社長と役員の数が増え、トップだけ民間人にすげ替えただけ(民主党政権時代、そのトップの席に大蔵省OBを置いたことがあります)で、体制の本質はどこも変わってはいません。そのような体制の下にある郵政グループは、その擁する資本の大半を国債の購入に充てて、政府の財政運営を支える役割を果たしています。近年、国債の利回りが低くなりすぎたことから、資産の多くを国債から外国証券等に移していますが(その詳しい様子はここ)、依然として国債発行総残高の1割を保有し、一方企業に資金を融通するという一般の銀行としての役目を果たしてはいません。金融市場と言う観点から見れば、郵政グループの金融業を行う技術は、公社時代からまるで進歩してはいないのです。

 少し視線を動かせば、労働対策についての自由化の促進とは、結局のところ非正規労働者の差別的処遇を何も改善しないままの派遣労働者の規制緩和でした。これは、戦前の企業が採った二重雇用形態をなぞったものに過ぎません。第1次世界大戦(1914-18年)がもたらした好況が大幅な工場労働者不足を産み出し、労働者の売り手市場の中で、官僚や公務員以外の者についての終身雇用制度が生まれたのですが、戦後不況により再び工場労働者の余剰が生まれました。そうした中で、一部企業は終身雇用制そのものを投げ出し、或いはその他の企業はそれを否定しないまでも、新規に工場労働者を雇用するに当たっては長期雇用とせず、臨時雇用とし、賃金も正規工より低い差別的なものとしました。以降日本の労働市場は、正規工と臨時工より成る二層構造となりました(さらに詳しい説明はここ)。

 小泉-竹中コンビが言い出した雇用制度についての規制緩和とは、結局のところ、80年以前の不況期に日本の産業界が持ち出した労働市場の二重構造を再び持ち出してきたという古証文であるにすぎません。小泉-竹中改革に、未来につながる要素は一切なかったということです。そしてその延長上にある2010年代の労働政策に、未来の経済振興に繋がる要素がなく、労働者の間に差別感が拡大するのは、まことに当然なことだと言えます。

 小泉-竹中改革より20年近く前にアメリカ大統領ドナルド・レーガンは大胆な規制緩和を起こっていますが、その結果は企業の倒産件数の急増という形で統計に如実に表れています(下のグラフを参照ください)。1980年代にアメリカで毎年倒産した企業の数は、大恐慌期のそれの3倍もの多さにのぼっています。1980年代のアメリカ産業の発展は、ベンチャー企業の勃興、旧型企業のrestructuring、さらには新旧企業の大幅な入れ替えという形で進みました(その詳しい説明はここ)。

出典: アメリカの倒産件数:ピーター・キャペリ著『雇用の未来』(2001年)
原典: Business Failure Record, Dun & Bradstreet, a company of the Dun & Bradstreet Corporation, 1996
    日本の倒産件数: 鞄結桴、工リサーチのデータを素に作成。

 ところで一方、日本では、小泉-竹中改革が行われたと言われてる時期には、日本の企業倒産件数は増えるどころか、逆に3割も減っています(2001年→2006年:マイナス30.9パーセント;下のグラフを参照ください)。

出典: 鞄結桴、工リサーチのデータを素に作成。

 つまり、小泉-竹中改革は、労働者の処遇を切り詰めて企業収益を好転させるという、もともと企業の救済を目的としたもので企業構造の改革、あるいは産業構造全体の改革を求めたものではなかったのです。

2017年1月4日初アップ 20〇〇年〇月〇日最新更新
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