小塩丙九郎の
歴史・経済データバンク

9. アメリカが続ける第3の産業革命


〔2〕情報産業の誕生と企業構造改革

(2) 情報ベンチャーの勃興

 この最高所得税率の大幅引き下げは、高額所得者に対して所得獲得競争を励ます効果を産みました。リスクを取って新しい事業を起こし、或いは拡大することが大きな所得によって報われるという空気が生まれました。これこそが、1980年代以降のアメリカのベンチャービジネスの大勃興の大きな原動力のひとつであった、と私は考えています。

 そして、このベンチャービジネスを喚起するもう一つの原動力は、NASA予算が1970年代に大幅に減額されて、NASAに集中していた情報産業関連技術分野の再優秀な頭脳が民間産業界に溢れ出たことです。最盛期の1965年に4.1万人いたNASA職員は、1970年代末には2.3万人へと4割減っています。そしてさらに重要なことは、NASAの外部契約者は同じ期間中に37.0万人から2.0万人へ18.5分の1にまで激減していることです。小塩丙九郎も1970年代半ばにアメリカに滞在していましたが、NASAの仕事を失くしたという人のうわさはよく聞きました。

出典: NASAのHP掲載データを素に作成。

 日本で太平洋戦争が終結するとともに、職をなくした陸海軍工廠で働いていた当時の日本の最優秀な技術者が、自動車等の民間産業に一斉にスピンアウトし、中には自ら事業を始めた人も出ました。中でも有名なのは、戦闘機をつくっていた技術者たちが民間の自動車企業に移って、空気力学と構造力学の知識をうまく活用してつくった日本初の軽自動車、スバル360です(以上の詳しい説明はここ)。それと同様のことが、1970年代のアメリカの宇宙・情報産業界で起こったのです。

NASAの大幅縮小は、多くの研究技術者のスピンアウトを呼んだ。

 準戦時体制が解けるとともに、準戦後環境が生まれたのです。有能な頭脳が民間産業界に溢れ、軍事技術の多くの民生利用が許され、リスクを取って企業を起こせば高所得が期待できることとなりました。やがて、冒険(ベンチャー)スピリットが、東西海岸地域を中心にアメリカを横溢しました。

 コンピュータの基盤となる半導体は、ゴードン・ムーア(1929年−)の設立したインテル社によって供給されました。そして、ムーアが予言した通り、半導体の回路密度は1年半毎に倍増し、それとともにコンピュータの性能は爆発的に向上しました。

2017年1月4日初アップ 20〇〇年〇月〇日最新更新
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