小塩丙九郎の
歴史・経済データバンク

9. アメリカが続ける第3の産業革命


〔2〕情報産業の誕生と企業構造改革

(3) シリコンバレーの誕生

 IT(情報技術)産業における技術は、それまでのいかなる産業と比べても革新のスピードが大きく、必要とされる専門技術もその都度コロコロと変わりました。19世紀に発展した摺り合せ型の技術を基本とする産業では、日々の研鑽によって熟練技能を高めていくことが効果的でしたが、この新産業においては、熟練よりも独創や革新が、そして新しい技術を実現するスピードが、はるかに重要でした。

 市場で打ち勝てる新たな製品を開発するためには、その新製品開発に必要なそれまでと違った分野の最先端技術者をそろえることが必要であり、それを続けるためには、広範な技術分野の最先端技術者を常に自社のストックとして抱え込んでおくことは不可能でした。この新たな環境に最も馴染んだベンチャービジネスが数多く企業され、発展しました。

 この急速な技術革新にIBMなどの旧来型の大企業はついていけず、新たな技術と製品の開発と販売は、専らベンチャーの仕事となりました。インテル社は1968年に設立されていましたが、1980年代初めに急成長しました。アップル社(PC製作)は1976年、マイクロソフト社(OS等のソフト製作)は1981年に設立、シスコシステムズ社(ルーター製作)は1984年に設立された、何れも若い企業です。

シリコンバレーでは、誰も背広を着なかった。都心の超高層ビルに入ることもなかった。

IBMなど既存企業も、それに倣うしかなかった。

 これを動かす技術者や経営者たちは、それまでのアメリカの研究開発技術者や経営者とは全く違った種類の人間でした。背広を着ることはなく、企業に対する忠誠心もほとんど持ち合わせていませんでした。革新的な発想を得ることは1人で行えず、不断の最新情報の収集と刺激に富んだ技術者同士の会話を求めました。

シリコンバレー 〔画像出典:Wikipeda File:Silicon Valley.jpg 〕

 そのような交流は、主に後にシリコンバレーと呼ばれるカリフォルニア州のスタンフォード大学周辺の地域で行われましたが、マサチューセッツ州のMIT(マサチューセッツ工科大学)周辺の州道128号線沿道地域でとも行われました。或いは、ワシントン州シアトル郊外部もその活動に加わりました。そうして、アメリカは新たなIT産業分野において、世界を独走し始めたのです。

情報産業の資源は、人

 どうして以上に挙げた地域なのかということについて、アメリカの先端産業集積地はスター研究者の存在から始まるとの説を唱えるアメリカの社会学者と経済学者がいます(リン・サッカーとマイケル・ダービー)。それに従うと、シリコンバレーが半導体産業の集積地になったのはトランジスタ発明家のウイリアム・ショックレ―がそこにいたからだし、シアトルがコンピュータソフトの集積地になったのは、ビル・ゲイツがそこで生まれたからだということになります。この新しい産業分野でのもっとも重要な資源は、人だということです。

2017年1月4日初アップ 20〇〇年〇月〇日最新更新
©一部転載の時は、「『小塩丙九郎の歴史・経済データバンク』より転載」と記載ください。



end of the page