小塩丙九郎の
歴史・経済データバンク

8. アメリカ第2の産業革命


(5) アメリカの第2の産業革命の全貌(前篇)

 時間を少し遡ることになりますが、アメリカは、1794年に国営工場の設立法を制定してスプリングフィールド(マサチューセッツ州)に銃器工場を設立しました。これは、工場長−職長−職長助手という一元的なラインを構成する近代工場の先駆けと言われています。また1802年には陸軍士官学校が設立されてエンジニアとしての工兵隊が養成され始めました。これは当時のアメリカで、工学技術を教える唯一の高等教育機関でした。19世紀に入ると工場に精紡機を先頭に機械が入り始めます。さらに、1807年にはイーライ・ホイットニーが時計の大量生産を始めます。こうして、規格化された部品を使った工場管理方式による大量生産が19世紀から20世紀に入る頃のアメリカで確立されてきます。

 1820年代から完全な部品の互換性能を備えたライフル銃の生産方式が、他の産業にも普及し始めました。また、1845年には海軍に兵学校が設立され、機械職人が機械技師に生まれる変わる端緒をつくりました。1846、47年には、ヨーロッパの人文学を専らとする伝統に反して、ハーバード大学とイェール大学に理工系学部が設立され、技術者を組織的に育成する体制が次第に整い、その動きに合わせるようにして、木綿業で大企業が発展します。この辺りで、アメリカは、イギリスの産業革命におおよそ追いつきます。南北戦争直前のことですが、この段階でアメリカは既に第1の産業革命を終えています。

 ここから、アメリカの第2の産業革命が始まります。ここで改めて、アメリカの産業革命の具体の様子を見てみたいと思います。以前(ここ)に行ったように、アメリカの産業革命の進展の様子を1人当たりGDPの伸び率の変化の中に見つけていきましょう。

 1870年代以降1940年代前半までのアメリカのGDP、人口、消費者物価指数の推移についてのデータを入手して、1人当たりGDPの対前年伸び率を計算し、さらにその5年間移動平均値を計算してグラフ化してみました(下のグラフを参照ください)。以前に計算したのは20年間移動平均値であったので、より細かな中期変化を見てみようというわけです。

出典: MeasuringWorth掲載データを素に作成

 そうすると先ず第1に南北戦争以降、20世紀初頭まで、3つの生産性の伸びの山が観測されます。このことは、アメリカの第2の産業革命が3段階の変革から構成されていることを意味しています。それらが次々に繋がって大きな産業発展となった、それがアメリカの第2の産業革命の特徴です。それではその各々の変革とは一体どういうものであったのか、そのことについてさらに説明していきましょう。

2017年1月4日初アップ 20〇〇年〇月〇日最新更新
©一部転載の時は、「『小塩丙九郎の歴史・経済データバンク』より転載」と記載ください。



end of the page