小塩丙九郎の
歴史・経済データバンク

8. アメリカ第2の産業革命


この章のポイント
  1. アメリカは史上2度の産業革命を行い、現在3度目の途上にある。

  2. 産業革命は、長い期間の産業技術革新の蓄積の上にあり、社会・経済構造全般を革新する。

  3. フォードT型という大衆向け自動車の大量生産は、アメリカの自動車産業の通過点でしかなく、技術革新はGMが完成した。

  4. アメリカは、最初は摺り合せ技術を磨き、次いで熟練を要しない大量生産工場管理の技術を開発した。

  5. 大量生産商品の普及は、雇用の形、生活の形を変えた。

  6. アメリカの第2の産業革命は、最初は生活用品の工場生産の拡大、次に大規模な重化学工業の開発、そして最後に標準部品化技術とエネルギー革命を利用した大量生産工場開発という3つの発展から成っている。

  7. 1920年代半ばに、産業技術開発のタネが枯渇し、経済発展が止まり、1929年末からの大恐慌へ突入した。

  8. アメリカの第2の産業革命を支えて経済倫理は、キリスト新教(ピューリタニズム)であり、富豪の慈善活動が爆発して現代の産業国家のインフラを整備した。


(1)第2の産業革命とは何か?

 “産業革命”とは、一体どのようなもののことを言うのでしょうか? それについては、世界初の産業革命であるイギリスのそれについて書いた中で詳しく論じています(ここ)。そのポイントを改めて書くと、産業革命とは1つの大発明が経済を一気に成長させるということではありません。長年の地道な産業技術開発の成果が実って、あるときより経済成長が加速され、そして同時にその経済成長が長期間持続できるように、経済・社会構造全般が大改革されることを言います。

 イギリスの経済学者であるアーノルド・トインビーは、「従前の富の生産と分配とを支配していた中世的諸規制に競争が代置すること」と言い、同じくイギリスの歴史経済学者であるエフレイム・リプソンは、「数世紀にわたる着々として進歩のクライマックス」であると言いました。トインービは、産業革命の社会・経済構造に関わる部分に、そしてリプソンは産業技術に関わる部分に主に注目したということです。そしてそれら2つの見方が何れも成り立つ総合的な大変革が産業革命である、と理解すればいいと思います。

 そして小塩丙九郎は、アメリカには2度の産業革命がかつて起こり、現在は3度目の産業革命の途上にあると考えています。第1の産業革命の内容については、既に別のところ(ここ)で書いています。そしてこの章で書くのは第2の産業革命についてです。そして第3の産業革命についても、章を改めて詳しく紹介します(ここ)。

 ところで、アメリカに3度の産業革命が起こっているということを、統計数値で確認することができます。産業革命が1世紀にも及ぶほどの大変革であるのであれば、それは長期にわたる高い経済成長率となって表れているはずです。そして、実際にそうなのです。それを示してみましょう。

 下のグラフは、アメリカとイギリスの1人当たりGDPの伸び率の推移を表したものです。但し、2つの計算を加えています。1つは、GDP総額ではなく、1人当たりGDPの伸び率としたことです。アメリカのように移民を多く受け容れる国では、社会が変わらなくても人口が増えれば自然とGDPは大きくなります。その人口増の部分を取り除いたのです。

 もう1つは、20年間の移動平均値の推移を計算したことです。20年間の移動平均値とは、その年から20年前の年からその年に至るまでの平均成長率を計算し、それを1年ずつずらしながらその計算結果の値をつなげて見る方法です。経済成長率を単年ごとに見ると変化幅が大き過ぎて長期傾向が見えずらくなるのですが、20年間移動平均を見ると長期傾向がとてもよく見えるようになります。さらに、GDPの額は、名目値ではなく、インフレ要素を取り除いた実質値を採用しています。

出典:MeasuringWorth掲載データを素に、先のアメリカについての同様の方法でイギリスについても20年間移動平均成長率グラフ(上に記載していない)を作成した上で、それを基礎として長期傾向線を小塩丙九郎が描いた。

 こうして見ると、アメリカでは3度にわたる高い経済成長率が続いた時期があることが確認できます。1度目は19世紀初頭から南北戦争(1861-65年)が始まる前の時期、2度目は南北戦争が終わってから1920年までの時期、そして3度目は1970年から現在に至るまでの時期です。その他に1940年代から150年代に至る時期がありますが、これは第2次世界大戦とその後のヨーロッパ復興のための特需でGDPが大きくなったという異常期なので、産業革命の起こった時期としては特定していません。

 ところで、長期にわたる高い経済成長率とはおおよそ年2パーセントの伸びのことを言います。1960-70年代の日本の高度成長期や、21世紀に入ってからの中国の高度成長期には、年率10パーセントにも及ぶGDPの増加がみられますが、アメリカその他の先進国では年率2パーセントというのは十分に高い伸び率です。実際のところ、現在そのような率のGDPの伸びを安定的に見せている国は、アメリカ以外にはありません。

 アメリカの第1の産業革命は、イギリスのそれをそのまま模倣した蒸気機関を利用して工場生産を発展させた時期ですが、アメリカ第2の産業革命は、鉄鋼、化学産業の大規模化、蒸気機関から電気モーターへのエネルギー革命、部品の規格標準化による大量生産の推進という、イギリスの産業革命を脱し、同時期のどの先進国家も追随できなかった産業技術革新と経済・社会構造改革のことを言います。そして第3の産業革命とは、情報産業技術(IT)の革新に端を発する産業技術の革新とアメリカの経済・社会構造大転換のことを言います。

アメリカの3度の産業革命
  1. 18世紀半ばまで:イギリスの産業革命の模倣

  2. 19世紀半〜20世紀初頭:重工業と大量生産

  3. 1970年代後半以降:情報等先端産業発展

 アメリカが3度に明確に分けられることのできる産業革命を行い、或いは行いつつあるという明確な認識を日本、或いはアメリカ自身の経済学者や歴史学者がもっていないことが、例えば日本の既に四半世紀にも及ぶ経済停滞の原因を理解できずにいる理由である、と小塩丙九郎は考えています。

2017年1月4日初アップ 2017年10月1日最新更(トインビーを歴史学者ではなく経済学者と呼ぶことに変更)
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