小塩丙九郎の
歴史・経済データバンク

7. 世界初の産業革命―イギリス


この章のポイント
  1. 産業革命とは、一つの大発明がもたらす短期間の技術革新ではない。

  2. 産業革命は、技術革新と経済構造革新が同時に起こることである。

  3. 産業革命を起こす最も重要な基盤は、自由な市場である。

  4. ワットの蒸気機関が普及するには、18世紀のスティーブ・ジョブズの支えを必要とした。

〔1〕産業革命前夜

(1) 「産業革命」と言う言葉

 “産業革命”という言葉を世界で初めて使ったのは、イギリスの歴史学者であるアーノルド・トインビー(1889-1975年)で、日本の明治維新から20年もたっていない1884年に出版された『18世紀英国産業革命講義』という本のタイトルに現れています(原題では、英国はEnglandと著されています。日本人は、イギリス、英国、イングランドという言葉をごっちゃ混ぜにして使っていますが、現代でも英語ではイギリスのことをUKというのが普通で、決してEnglandとは呼びません。なぜならUKという国は、イングランド、ウェールズ、スコットランドと北アイルランド4国の連合王国〈United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland〉であるからです)。

英国国旗

 ところで、このデータバンクでは、“イングランド”と“イギリス”という言葉が使い分けられています。18世紀初頭の1707年にイングランドとスコットランド王国の間に条約がむすばれて、グレートブリテン王国に統一されたので、このとき以降について、このデータバンクでは“イギリス”という言葉を使用しています。それからおよそ1世紀が経った1801年には、グレートブリテン王国はアイルランド王国を併合してグレートブリテン及びアイルランド連合王国を形成しました。このときに、今のイギリスの正式名称が生まれ、それ以降イギリスは英語では一般にUKと呼ばれています。そして20世紀に入った1922年には、アイルランドの6分の5が脱退して別の独立国をつくったので、イギリスの名称は現在の正式名であるグレートブリテン及び北アイルランド連合王国(United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland)に変更されました。

 英語では、イングランドとUKという言葉を意識して使い分けているのですが、日本人はそれについて無頓着です。自国の英語名をJapanと呼んだり、Nipponと呼んだり定まらないこの国ですが、国の呼称には重大な歴史の背景が表されているので、日本人ももう少し神経を使わないと、スコットランドからやってきたイギリス人観光客に、ひょっとすると不快な思いをさせているかもしれません。

 話を戻しますが、それではトインビーは、産業革命とは一体どのようなものであると言ったのでしょうか? 少し難しい表現になりますが、前述の著書の日本語訳をそのまま載せれば、産業革命とは、「従前富の生産と分配とを支配していた中世的諸規制に競争が代置すること」であるということになります。つまり、中世には、絶対王制、教会や修道院、あるいは民間では大商人が中心に構成していたギルドが、モノの生産や流通、あるいは分配を決めていたのが、自由な市場がそれらの機能を担うようになったのが産業革命であるというのです。つまり、産業革命とは単に技術の革新のみのことを言うのでなく、社会構造全体の変革を表現した言葉だというのです。

産業革命とは、

「従前、富の生産と分配を支配していた中世的諸規制に競争が代置すること」

アーノルド・トインビー

 イギリスの歴史経済学者であるエフレイム・リプソン(1888-1960年)は、産業革命は「数世紀にわたる着々とした進歩のクライマックス」である表現していますが、これを先ほどのトインビーの言葉と合わせれば、産業革命とは一体何であるかということがよりよく理解できると思います。産業革命は、突然思いつきで始まり、数年間のうちに終わるといった単一技術の革新では決してないということです。このデータバンクでは、そのことが実際のどのようなことを意味するのか、あらゆる機会をとらえて何度も紹介していこうとしています。

産業革命とは、

「数世紀にわたる着々とした進歩のクライマックス」

エフレイム・リプソン

 2013年末に生まれた第2次安倍晋三政権では、“第4次産業革命”を実現すると言っていますが、それは単に一部の技術革新のことを言っているのであって、社会・経済構造を変革することは、その構想の中にまったく含まれていません。日本の歴史学者や経済学者の多くが、産業革命ということの本質をまったく理解していないことが、そのことに表れています。それでは、日本の経済を発展させることなど到底できないのです。

 トインビーは、しかし、1760年には中世的諸規制がまだ支配的であったが、ジョージ3世(在位1760-1820)の治世を通じて行われた農業、工業、商業、人口、経済政策、経済思想の大変化の結果、自由競争が支配的となり、「富の大きな増加と相並んで貧困の大きな増加が見られる不幸な恐ろしい時期」が発生した」とも主張しています。これは産業革命が、経済発展という大きな成果をもたらす一方で、重大な社会問題をも発生させることを言い表した言葉です。

 別のところ(ここ)で紹介するように、17世紀のイングランドに初めて生まれた近代資本主義は、国の経済を発展させる一方で、カネの亡者ばかりをつくりだすことになって、20世紀の世界では人々の精神は荒廃することとなると予言したドイツの社会学者であるマックス・ウェーバーの考えに通じるものです。このウェーバーの予言ついてはアメリカの経済学者のミルトン・フリードマンが反論していて、そのこともこのデータバンクで紹介していますが、これらの学者すべてに共通していることは、産業革命や近代資本主義ということが、社会構造全般のありように関わる重大で基本的な事柄であるということです。

2017年1月4日初アップ 20○○年○月○日最新更新
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