小塩丙九郎の
歴史・経済データバンク

7. 世界初の産業革命―イギリス


〔2〕産業革命が始まった

(5)産業革命中の交通機関

 ヨーロッパ大陸では、河川や運河や道路は国が建設することが多かったのですが、早くから資本主義が根付いたイギリスでは、それらの交通インフラが民間の資本家の自発的意思によって建設・経営されることが多くありました。そして、産業革命が始まりつつあった18世紀半ばまでには、有料道路の建設はさらに急速に進みました。但し、短区間のものが多く、国全体の計画によるものというわけではありませんでした。そうして1820年代から30年代は、駅馬車全盛の時代となりました。

 イギリスの道路の発達が遅れたのは、海岸や河口にロンドン、ハル、ニューカッスル、ブリストルなどの良港が存在し、遠距離間の運輸は専ら船に拠っていて、かつ海岸から奥地までの距離が短いためでした。この点は、同じく陸上交通の発達がまことに貧弱であった日本とも共通するところがあります。


鉄道馬車から鉄道蒸気機関へ
鉄道馬車から鉄道蒸気機関へ
〔画像出典:馬車 Wikipedia FilFile:Watt James von Breda.jpg、蒸気機関 Wikipedia e:Horsetrain 1870.jpg 、蒸気機関車 Wikipedia File:Coalbrookdale loco.jpgg〕

  沿岸航路からさらに内陸への運行を可能にする運河の建設が18世紀後半に盛んになり、それによって物資の搬送コストは半減したのですが、19世紀に入るとワットの発明した蒸気機関を利用した鉄道の建設が盛んになります。鉄道線路を最初に走ったのは馬車でしたが、1830年代に入って馬車は蒸気機関車にけん引された列車にとって替わられます。そして鉄道ブームが起こるのですが、鉄道を建設したのは専ら民間資本でした。鉄道が国営となるのは、第2次大戦後に労働党が政権をとって、様々な基幹産業を国有化してから後のことになります。

 最初、鉄道は、別々の民間資本が建設し、経営する短距離路線が方々に無関係にできあがったのですが、やがてそれらの線路は繋がれて長距離運航が可能なものになっていきます。そしてその過程で、小規模な鉄道資本がより大きな鉄道資本に吸収されるということが何度も重なり、あるいは鉄道資本が民間運河資本を買い取るというようにして、幹線鉄道網が出来上がり、鉄道資本は次第に大企業に育っていきました。そして最終的には1823年に“ビッグ・フォー”と呼ばれる4社に統合されることとなります。


ワットとボールトン
グレート・ウェスタン鉄道のブリストルにおける最初のターミナル
〔画像出典:馬車 Wikipedia FilFile:Watt James von Breda.jpg、蒸気機関 Wikipedia e:Horsetrain 1870.jpg 、蒸気機関車 Wikipedia File:Coalbrookdale loco.jpgg〕

 鉄道は国家のインフラとして重要だから統一して国営化すべきであるとの議論も提出され、1844年には実際に国が鉄道を買収できる法律も制定されたのですが、その法律が実行に移されることはありませんでした。この頃、鉄道建設には鉄の生産量の4分の1が投入され、30万人が雇用され、鉄道自身が国の基幹産業となりました。それでも依然として鉄道は民営のままであり、そのことがイギリスの発展の支障になることは一度もありませんでした。そしてそのイギリスや、あるいは同じく鉄道を専ら民間資本で建設、経営したアメリカの実績を無視してすべての幹線民営鉄道鉄道を国有化したのが、それから半世紀後の日本であったというわけです(1905年:鉄道国有法)。

 陸上交通が、ワットが発明した蒸気機関を活用した鉄道によって行われるようになったのと同時期の1827年に、オランダから西インド諸島まで全部蒸気を使った大西洋横断が成功し、以降外洋航路でも帆船が蒸気船に置き換えられて行きました。それでもなお、船体は木製であったのですが、1858年に初めて鋼鉄船が建造され、以降、船舶の大型化と高速化が進みました。しかしその頃には、産業革命の主役は、イギリスからアメリカへと移っていたのです。

2017年1月4日初アップ 20〇〇年〇月〇日最新更新
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