小塩丙九郎の
歴史・経済データバンク

7. 世界初の産業革命―イギリス


〔2〕産業革命が始まった

(4)蒸気機関の誕生と発展―18世紀のベンチャー

 18世紀のイギリスの産業革命での最大の発明は、何と言ってもジェームズ・ワット(1736-1819年)の蒸気機関でしょう。それ以前は、動力は主に水車から得られていました。ただ水車と言っても、日本人が思い浮かべる農村にある灌漑用水を得るための水揚げ用のものや、粉ひきに使われるような小規模なものではなく、大型化されて多くの紡績機を動かしたり、あるいは製鉄所で高炉に24時間送風する鞴〈ふいご〉を働かせるなどの強力なものでした。

 水車の難点は、1つには天候や季節の変動による影響を受けて、その運動が安定しないこと、そしてもう1つ重要な点は、強力な水流を得ることのできる山間の河川脇に立地が限られることでした。とは言え、日本では江戸時代に製鉄用の鞴ヘの送風機は、1人踏みのものが2人踏みのものに改良されて少し送風力を増すのが精いっぱいで、数日間にわたって24時間人が足踏みを続けなければならない状態は改善されませんでした。江戸幕府が、海外技術の導入や新製品の開発を禁じていたからです。

 こうした中で、ワットが発明した蒸気機関は、石炭を燃料として年中安定して強力な動力を提供することができたので、まことに好都合なものであったのですが、しかし、蒸気機関は発明とともに直ぐに普及するという具合にはいきませんでした。ワット自身に蒸気機関の意味を十分に理解して、事業化まで運んでいく能力も才覚も欠けていたからです。ワットは、1769年に蒸気機関の特許を得ていますが、その後それを実用化に向けて改良したり、あるいは販売しようとした動きはせず、心は他の新たな発明に向かっていました。船大工の息子として生まれたワットは、根っからの技術者であり、あるいは職人だったということでしょう。


ワットとボールトン
ボールトン(左)がワット(右)の発明した蒸気機関を世に出した。
〔画像出典:ボールトン Wikipedia File:Matthew Boulton - Carl Frederik von Breda.jpg、ワット Wikipedia File:Watt James von Breda.jpg、蒸気機関 Wikipedia File:20070616 Dampfmaschine.jpg  著作権者 Eclipse.sx〕

 ワットの発明の重大さに気付いて、それを世に普及したのはひとえに工場を経営する実業家であったマシュー・ボールトン(1728-1809年)の功績です。ボールトンは、蒸気機関の特許期限が切れかかっていたのを見て、国会に働きかけて特許期間を延長させて特許権を守るという尽力をした上で、蒸気機関を商品化して鉱山や工場への販売を実現しています。

 また、ボールトンが優れていたことは、商品を売り切りにせずに、蒸気機関を利用することによって鉱山主や工場主が得た余分の利益の一部(例えば3分の1)について、他年にわたり(例えば25年間)受け取れる権利を獲得したことです。こうして、蒸気機関利用者の初期投資額を少なくして蒸気機関の普及を図りながら、同時にワットやボールトンの所得を長期に安定させるという革新的な販売方法を編み出したのです。

 こうしてワットの発明した画期的な動力装置である蒸気機関はイギリス産業界に登場して、その後のイギリスの産業革命の一番の推進役となりました。ここで想い起すのは、アップル社を世界1のITメーカーに育て上げたスティーブ・ジョブズのベンチャー起業、そして育成のやり方です。

 アップル社をITナンバー・ワンの企業に引き上げたPC(パソコン)を発明したのは、エンジニアのステファン・ウォズニアックですが、彼はPCを技術改良できても、ユーザーが好む商品に仕上げる能力には欠けていました。ウォズニアックのPCのよさを消費者にわからせて、IT産業全体の起動力ともなるような事業化を行ったのは、自身は技術についてウォズニアックに比べてはるかに長けてはいなかったたジョブズでした。いわば、18世紀イギリスのウォズニアックがワットで、ジョブズがボールトンであると言って間違いではないと思います。


ウォズニアックとジョブズ ワットとボールトンは現代のウォズニアックとジョブズ?
〔画像出典:ウォズニアック Wikipedia File:Steve Wozniak.jpg、ジョブズ Wikipedia CC 表示-継承 2.0 File:Steve Jobs WWDC07.jpg〕

 つまり、ボールトンは、ワットの技術をうまく活用して国の産業構造を大変革するという功績をなした1大ベンチャー・キャピタリストであったと言っていいのではないでしょうか? 現代の日本では、蒸気機関の発明と普及の功績は専らワットのものとされ、誰もボールトンの名を知りませんが、そうであれば、IT発展の栄誉はジョブズにでなくウォズニアックに与えるべきでしょう。結局のところは、18世紀後半にはワットとボールトンのコンビが、そして20世紀の後半にはウォズニアックとジョブズのコンビが必要であったということです。

産業革命とは、 ハード技術とソフト技術の
組み合わせの積み重ね

必要なのは自由市場

 視点を少し動かせば、社会を発展させる産業革命の個々の技術についてさえ、ハード技術とソフトな販売、つまり普及、の才能と努力の両方が必要であるということです。そしてこのような成果は、自由な市場でしか生まれず、育ちません。そしてこのような成果が順々に連鎖的に積み上がっていくのが産業革命なのですから、産業革命を産む一番の社会基盤は、やっぱり自由な経済市場だということになります。

2017年1月4日初アップ 20〇〇年〇月〇日最新更新
©一部転載の時は、「『小塩丙九郎の歴史・経済データバンク』より転載」と記載ください。



end of the page