小塩丙九郎の
歴史・経済データバンク

7. 世界初の産業革命―イギリス


〔2〕産業革命が始まった

(3)産業革命中の炭鉱産業

 鉄鋼が石炭を使って製造されるようになるにつれて、イギリスでは炭鉱業が発展しました。しかし、炭鉱業の発展は産業革命とともに始まったのではなく、16世紀半ばから17世紀半ばにかけて大発展(年産20万トン→150万トン)しています。石炭は、先ずは家庭用燃料として、そして製鉄業以外の工業燃料として使われました。醸造業、練瓦製造業、製塩業、製陶業、製糖業、石鹸製造業、刃物製造業、釘製造業、硝子製造業など数多くの工業で、木炭に代る燃料として使用されていました。

 16世紀半ばといえば、日本はまだ戦国時代でありましたから、それほど早い時期からイングランドでは多彩な工業が発展していたということです。そして同時期の日本の最先端を走っていたのは自由都市であった泉州堺で、そこではほとんど世界の最先端に届きそうであった火縄銃を、文書記録がないのではっきりとは言えませんが、部品の標準規格化による分業大量生産体制が採られていたと推測されます。つまり、その時期まで日本はイングランドのそれほど後ろを走っていたというわけではないのです。そして今この章で書いているのは、泉州堺を置いてけぼりにした後のイングランドの発展の様子です。

  これらの伝統的産業への利用のほか、18世紀には、1つには既に紹介した技術革新された製鉄業での利用が始まったのですが、もう1つの重要な需要先は、後の項でさらに詳しく紹介しますが、蒸気機関です。蒸気機関は、先述のようにさまざま工場の動力として使われる一方、イングランドの産業革命を推進する力を発揮した陸上交通機関、つまり蒸気機関車に利用されました。こうして、石炭の生産量は、18世紀中に4倍から5倍にふえ、さらに市場の拡大に伴って、19世紀には最初の半世紀間に6倍に、そして19世紀中には結局20倍にも増えました。

 石炭はこのようにさまざまな産業の近代化に大きく貢献したのですが、しかし石炭産業自体には、大きな発展はありませんでした。採炭作業は、結局のところ人の手で行うしかなかったからです。暗くて高温多湿の坑内で落盤の危険を冒しながら働くという労働環境に改善はなく、産業開発が進む中で、労働環境の改善は進みませんでした。労働市場は近代化されず、20世紀に入っても、採炭の機械化は1割に達していませんでした(1913年:8.5%)。そのような状況で、石炭事業は大規模企業化するということはありませんでした。産業革命の一番の貢献許が、産業革命の恩恵を受けるということはなかったということです。

 ただ一つ、炭鉱産業が近代化されたといえば、1769年にジェームズ・ワットが発明した(特許を獲得した)蒸気機関が、1777年に鉱山に使われる工夫が凝らされ、炭鉱の通風がよくなったということぐらいでした。

 日本でも明治維新以降、炭鉱の開発は急速に進みましたが、イングランドですらそうなのですから、炭鉱の作業環境は劣悪なまま改善されず、多くの事業が官営化される中で、炭鉱産業には官営化の手は及びませんでした。そして1930年代に戦争の可能性が高まるにつれて、朝鮮人などの外国人労働者が強制労働させられることになったことは、よく知られている通りです。

2017年1月4日初アップ 20〇〇年〇月〇日最新更新
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