小塩丙九郎の
歴史・経済データバンク

7. 世界初の産業革命―イギリス


〔2〕産業革命が始まった

(2)産業革命中の鉄鋼工業

 イギリスの産業革命は、木綿工業を中心に始まりましたが、それは次第に鉄鋼工業に伝播していきました。そしてそのことの意味は、決定的に重要でした。11世紀から15世紀までのイングランドの発展を支えたのは“中世の産業革命”であり、その基盤はやはり大量生産が可能とあった鉄の生産でした。18世紀のイギリスの経済を発展させるにも、良質の鉄鋼が廉価で供給されることは決定的に重要でした。

   製鉄業は古い歴史をもつものでしたが、18世紀初頭には息絶え絶えの状態にありました。1720年頃のイングランドにあった溶鉱炉の数はおよそ80に過ぎず、木材の不足もあって生産コストが高く、高関税を課せられる輸入鉄にかろうじて対抗しているという状況にありました。木綿工業では、機械の導入によって労働力の節約が行われ、そのことが綿製品の国際市場競争力を大いに高めることに役立ったのですが、製鉄業にとってより重要であったのは、燃料を転換することにより製品の質の向上を図ることでした。

 木綿工業と違い、工場生産制は既に確立しており、産業革命時に変化したのは、規模と技術だけです。一般に、工場生産制は産業革命が産んだと理解されていますが、それは間違いです。イングランドを含むヨーロッパでは、中世の産業革命以降、工場生産制は特に鉄生産工業を中心に普及していて、例えば馬の蹄鉄を打ちつける釘を大量生産する工場が多くあった13世紀のケント州とサセックス州にまたがる地域を、『中世の産業革命』を書いたジャン・キャンベルは“冶金コンビナート”と呼んでいるほどです。

 そのように盛んに行われた製鉄ですが、その燃料には木材が使われていました。当時のイングランドには鉄鉱石がふんだんにあったのですが、16世紀に入って国王ヘンリー8世がスペインの侵略に備えて大砲や鉄砲を生産するために、鉄鉱脈があったサセックス地方の森の木を大量に切り倒してしまったので、途端に製鉄用の木が枯渇してしまったのです。ちなみに17世紀の平和になった日本では、木造住宅が大量に建築された上に、江戸など大都市では大火が頻発したので、日本の山の木は乱伐され、明暦の大火(1657年)があってしばらくした1666年以降、木の伐採は大幅に制限されています。同じような時期、日本では住宅建築のために、イングランドでは武器製造のための製鉄のために、木が乱伐され、以降両国とも木材資源不足に悩むこととなりました。

同時代のイングランと日本の森林資源の枯渇

17世紀イングランド:兵器生産のための鉄生産の
          燃料として森林を伐採

17世紀日本:建築物の建材として森林を伐採

 そうやって工場制自体は早くから発展したのですが、それはまだ比較的小さな規模に収まっていました。例えば、バーミンガムでは、刀剣、鉄砲、ボタン、靴の締金などのような金物を生産していましたが、ギルドの制約を受けずに商人や職人は自由に活動してはいましたが、しかし技術は手工業に依存するところが多く、規模の拡大は行えない状態にありました。

 しかしそのような鉄関連産業の姿が、燃料革命によって急変することになります。製鉄に石炭が使われ始めたのです。と言って、その時になって石炭が発見されたというのではなく、石炭は燃料として古くから使われていました。しかし製鉄燃料に石炭を使うと、石炭に含まれる硫黄などの不純物が鉄鉱石に触れると、できあがった鉄が変質してしまうので、製鉄に石炭は使えなかったのです。

 しかし、18世紀初頭の1709年に、製鉄所経営者であったエイブラハム・ダアビー(1678-1717年)が、石炭から予め不純物を除く手間を加えることによって、溶鉱炉用の燃料として石炭を使用することに成功します。こうして製鉄は木炭から部分的に解放されたのですが、しかし、銑鉄〈せんてつ〉を可鍛鉄(かたんてつ;鉄製品に加工できる鉄)に変えるには依然として木炭に頼り続けられなかったので、鉄生産が一挙に拡大するというわけにはいきませんでした。

 この問題は、1783年にヘンリー・コート(1741?−1800年)によって解決されます。コートは、鉄を反射炉で精錬するパドル法を発明して、石炭を使った鉄の大量生産法を遂に完成したのです。こうして、「1780年代には、製鉄の全過程が石炭を燃料として使いながら行われるようになった」と西洋歴史学者の友田卓爾は説明しています。


パドル炉
パドル炉
〔画像出典:Wikipedia File:Puddling furnace.jpg〕

 製鉄産業を革新したもう一つの原動力は、ジェームズ・ワットが発明した回転式蒸気機関が製鉄業に導入されたことです。中世の産業革命以来、高炉への鞴〈ふいご〉による送風や鉄を加工する動力には大規模化された水車が使われていましたが、水流は天候や季節の変動によって不安定であるため、十分に効率的な動力とは言えませんでした。しかし蒸気機関は、安定して強力な動力を提供することができました。製鉄業は山間の水流からも解放され、炭田や市場の近くに製鉄所は建設されるようになります。

2017年1月4日初アップ 20〇〇年〇月〇日最新更新
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