小塩丙九郎の
歴史・経済データバンク

8. アメリカ第2の産業革命


(12) 第2の産業革命の世界史的意義(後篇)

 この時、ドイツはイギリスとの経済開発競争に勝ちつつあるとともに、アメリカとの距離を急速に大きくするというまことに微妙な位置に置かれていました。それにどう反応したらいいのかということについて悩み、そして結局は1880年代以降に急速に進展したドイツとアメリカの経済力の格差の拡大が、ドイツに焦燥感を抱かせ、追い抜きつつあったイギリスを打ち破ってヨーロッパに覇権をうちたて、ヨーロッパ全部を支配することによって新興アメリカに対抗しようと考えたことが第1次世界大戦の大背景をつくったのではないか、と私は推量しています。

 第1次世界大戦が起きた理由について、歴史学者は様々な国際事件や領土対立問題などの因果関係を解析してみせますが、大国間の争いは、それがどういった経緯で殴り合いになったかではなく、相手が死んでいいと思うほどに殴り合ってもいいという思いに一方が陥っていた根本理由は一体何であったかということを考える方が、余程重要だと思いますし、そこには個人の思いや偶発的な事件の発生を超えた科学的な組織対立の構造的問題があるはずです。

 第1次世界大戦の場合、近代資本主義体制にないドイツがそうであるアメリカとの間に生じていた産業技術格差が拡大する一方にあったことをドイツが意識して、それが致命的な差にならない前に何とか手を打っておかなければ国運が危うくなると考えたということがその構造的問題に当たると思うのです。そのことを水野広徳〈ひろのり〉海軍大佐は見抜いていました(水野のことについては、別のところ〈ここ〉で詳述しています)。しかし、それは日本の軍官僚や経済官僚の理解するところとはなりませんでした。

 日本は第1次世界大戦では、ヨーロッパ戦線には18隻の巡洋艦と駆逐艦を派遣して、形ばかりと言っていいほどの貢献をしたのですが、労なく中国山東省に関わる権益をドイツから奪って大喜びしてしまいました。しかし、ドイツがなぜ戦争を起こし、どうして負けたのかということを水野と同じ程に理解していたのならば、その後日本が優先させるべき対策は、軍備拡張はほどほどにして、国の総力を挙げて産業技術開発に基づく産業振興に取り組むことであるということが分かったはずなのです。

 ドイツの労働生産性が、再びアメリカとの距離を縮めるようになるのはアメリカが大恐慌に襲われた1929年以降のことであり、つまりドイツの生産性向上が加速したためではありません。そしてアメリカの労働生産性が大恐慌で低下した後、第二次世界大戦が始まるまでの10年間に回復できなかったのは、既に紹介したように(ここ)、アメリカが1920年代に入って以降、工業生産技術の革新を行う力を失っていたからです。そしてそのアメリカの大停滞は、ドイツに再チャレンジの機会を窺わせる大きな誘惑剤となりました。

 アメリカの工業生産体制の急速な近代化と、伝統的工場生産体制を脱しきれないドイツの格差の変遷のあり様は、世界政治の深層で、2つの世界大戦を誘発したこととなった可能性が高い、と私は考えています。

 第2次大戦の開始に当たってのヒットラーがそのことをどれほど意識したかは分かりませんが、ドイツとアメリカとの間の産業技術格差の拡大が続いていたことが、国際経済市場競争での不利の拡大を引き起こし、ヨーロッパをできるだけ早くアメリカの影響下から引き離さなければという切迫した思いがヒットラーの心底にあったことは想像できます。

 国の指導者が行動を起こす時、世界を制覇したいというような積極的ではあるが個人的な思いだけでは不十分で、被害を未然に防ぐという自国防衛の使命感といった正義の証明を必要としていると思います。どのような人間であっても、自分が正義をなしているという自分自身に対する説得が必要であるからです。しかし、国民に対して前者は口にできますが、後者は自国の不備を告白することになるので言えません。だから、反対勢力には世界占有欲に駆られたモンスターとして、そして国内の愛国者には力強いカリスマ指導者として映ります。それが、ヒットラーの実像により近い理解ではないかと思うのです。

  ヒットラーは、産業技術開発に後れを取り続ける経済・社会体制をもつドイツという国の構造が産んだモンスターであって、狂信的な愛国者の産物とするのでは理解が足りないと思います。ヒットラーが忌まわしい殺人狂であったことに間違いはありませんが、そのことを糾弾するだけで、世界史の科学的力学の追求の手を止めてしまってはいけないでしょう。

 世界を動かす力の根底に国際経済市場獲得力、そしてそれを実現する最先端の産業技術開発力があります。つまり、旧型の領土拡大一辺倒の帝国主義から世界市場制覇を求める新型の帝国主義に世界政治の力学が構造変化していたという歴史観をもつことが重要です。第1次大戦も、第2次大戦も、新旧帝国主義体制同士の争いであった、そのような理解が必要です。

 ドイツは旧型から新型へのモデルチェンジをしないままに、新体制に挑んで敗れた、そして旧型フランスは、終始主体性を発揮することはできなかった、そう考えないと、世界史は単なる偶然の積み重ねといったような劇画の題材になり、歴史学者が、「本当のところ、なぜ第1次世界大戦というような途方もない戦争が起こったのかはよく分からない」と表明するというような仕儀になってしまいます。それでは、世界の人民を大悲劇に落とし込むことになる次の大戦争を防止できないでしょう。

2017年1月4日初アップ 20〇〇年〇月〇日最新更新
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