小塩丙九郎の
歴史・経済データバンク

21. アメリカの格差問題


[2〕アメリカの格差はどうして起こったのか?

(4) 格差をつくりだした人たちの宗教正義

 これは一見理解しやすいのですが、しかし平等を壊したと非難される成功者たちに聴けば、恐らく功利的な議論ではなく、宗教教義に則った反論が返されることとなると思います。格差は、キリスト新教の教義に素直に従って行動した結果に過ぎないのだと。

 これが、16世紀のヨーロッパで生まれ、17世紀のイングランドで確立され、そしてそれを信仰する人たちがイングランド王の迫害から逃げてきてアメリカ建国の素をつくったピルグリム・ファーザーズたちの考えそのものなのです。どうして、神の前の平等の実現を妨げることが、キリスト新教の教義にしたがったことになるのか? そのことを理解しなければ、アメリカという国、国民、そしてそれらがつくった近代資本主義国家ということを理解することはできません。

 ヨーロッパで初めて宗教改革を指導したのは、16世紀神聖ローマ帝国(今のドイツ)の神学者マルチン・ルターでありましたが、しばらくして自由都市ジュネーブに現れた神学者ジャン・カルヴァンがより革新的な教義をつくり上げました。それが、近代資本主義のタネとなったキリスト新教です。より詳しく言えば、それは今ではカルヴァニズムと呼ばれています。

 それまで、商売や事業を行って利益を得ることや、金融業を営んで金利を得ることは神の意思に背く不道徳なことであると考えられていました。それに対してカルヴァンは、事業を行って利益を得るというのは、消費者にそれが求められたことの証〈あかし〉なのであってとてもいいことだ。人はより大きな利を得るために人生を生きなければならないと、営利が神の意思によく従うことなのであると説いたのです。

 ただ、そこで得た利益は、自分やその家族を物的に豊かにすることに使ってはならず、自身は倹約に努め、蓄えた資本は次なる事業の元手とし、あるいは周りの困窮する貧民や障害者を救済する慈善のために使わなければならないとも説いたのです。

 営利事業は盛んに行え、その果実は、経済拡大と慈善に使え、それらがすべて合わさってキリスト新教の教義を構成しています。人々にはそれぞれ神から与えられた能力が備わっています。そしてそれは人によって大きな違いがあります。その差があることを、キリスト新教は認めています。神には計画があり、それに従って人々が懸命に活動するように、人々に必要な才能が備わっているのだと考えるのです。英語で才能のことを“gift”と呼ぶことがあるのは、そのためです。

 そして人々がそれぞれの能力を活かして大きく違った成果を産む、そのこともキリスト新教は認めています。なんでも同じでなければならない、と結果の平等を謳ってはいません。だから、格差をつくったと批判される人々は、自分たちはキリストの教えに従い、神に与えられた才能を精一杯に使って、神より与えられた天職を全うするため、自分の人生を賭けて懸命に尽くしたのだというのです。

2017年1月4日初アップ 20〇〇年〇月〇日最新更新
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