小塩丙九郎の
歴史・経済データバンク

21. アメリカの格差問題


[1]アメリカとはどんな国か?

(5) 格差拡大の根っこは東西冷戦に

 では、なぜアメリカの所得格差は1980年代に始まり2000年代までその拡大を続けたのか?、そのことについて考えてみたいと思います。

 1945年に第2次世界大戦が終わってすぐに、それまで連合国として一緒に戦ってきた連合軍を構成する国が、アメリカを筆頭とする西側諸国と、ソ連を筆頭とする東側諸国に分かれて対立が始まりました。そして東側陣営には、大戦後まもなく(1949年)共産党一党独裁体制として建国された中国(中華人民共和国)が加わりました。東西冷戦が、始まったのです。

 日本やドイツ、あるいは戦勝国であったにもかかわらず国土が戦火で荒廃したイギリスやフランスが戦災復興にいそしみ、鉄鋼等の重工業を建設しているあいだ、アメリカはソ連と対峙するための核戦争体制の構築に励んでいました。その他の民生産業については、ことの他の努力を行わなくても、ヨーロッパ先進国や日本との国際市場での競争に負ける心配をする必要はありませんでした。

 核戦争体制を整える上でまず必要であったのは、戦時中に開発した原始爆弾技術を基礎に、水素爆弾を開発することでありました。しかしこれらの技術は、たちまちのうちにソ連のスパイに持ち去られ、米ソの間の技術格差はなくなってしまいました。そして、米ソ間の争いは、核弾頭を運搬するミサイルの技術開発競争に移りました。そしてアメリカにとって誤算であったのは、ソ連のロケット技術開発が、常に、アメリカに先行したことです。

 世界初の人工衛星の打ち上げ(1957年)も、世界初の有人人工衛星の打ち上げ(1961年)も、どちらもソ連の功績となりました。こうして当時の世界最先端産業技術である宇宙開発技術でのソ連の優位は、世界中の人々に社会主義体制が資本主義体制に勝る優れた仕組みであるとのメッセージを与えました。これは、アメリカの鼻先にあるキューバを含む多くの開発途上国での革命を誘発し、アメリカの世界でのヘゲモニー(支配体制)をも脅かし始めたのです。実に、アメリカにとって、国家の存続がかかった一大事でありました。

 アメリカは国の総力を挙げて宇宙開発産業技術の開発に取り組み、それまでの空軍を中心とした体制から、新たに設立したNASA(連邦航空宇宙局)を中心とした体制に移行し、アメリカの最も優秀な頭脳をそこに集中して投下しました。また、NASAの周辺には、それと契約する多くの民間企業が育ち、そこにも有能な技術者が雇用されました。そしてアメリカの必死の姿勢は、1961年4月にソ連が有人宇宙船の発射を成功させた直後の5月に、ジョン・F・ケネディ大統領が、1960年代中に人を月に送るという演説によって表されています。

2017年1月4日初アップ 20〇〇年〇月〇日最新更新
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