小塩丙九郎の
歴史・経済データバンク

19. 日本の経済倫理の発展と挫折


〔1〕日本の商人が示した慈善の精神

(5) キリスト新教に似た浄土真宗

 同胞意識を基礎に、浄土真宗は、“自利利他円満”〈じりりたえんまん〉の理念を掲げ、家の繁栄をのみを一番に図るのではなく、それと併せて、或いはそれ以上に、地域同胞の安寧を求めなくてはならないとの教義を強くもちました。この地域重視主義は、法華宗徒が、家の存続と繁栄を図るためには地域の安全と繁栄が必要だ、としたのとは、ものの見方が逆です。この近江から北陸地方にかけての富裕な商人たちが得た理念は、京・堺・大阪の大都市の商人たちのそれとはおおいに違うものとなったというべきだと思います。

 近江商人の多くが京に出て大きな商家として発展していますが、しかし京生まれの商人と近江商人とは、まったく違った精神倫理をもっていて、互いを商売相手として、あるいは共同して地域自治を運営しても、互いの精神を交えることはありませんでした。近江商人は、いつまでたっても故郷に本拠を置く近江商人なのでした。

 この浄土真宗(一向宗)に帰依する商人たちの経済倫理は、同時代のヨーロッパに生まれたプロテスタンティズムのそれに近いと、アメリカの宗教社会学者であるロバート・N・ベラーは評価しています(『日本近代化と宗教倫理−日本近世宗教論―』〈原著:1956年〉)。浄土真宗は、どうプロテスタンティズムに近いというのでしょうか?

 ベラーは、浄土真宗が、江戸時代の武士と京、大坂を中心とした多くの商人の精神基盤となった武士道や石門心学〈せきもんしんがく〉(その詳しい説明はここ)、或いは(二宮尊徳の提唱した)報徳運動とは違って、宗教的義務を政治的義務に優先させている点を強調しています。人生を生きる上で先ず第一に守るべきは、社会秩序に従うことではなく宗教的規範、教え、であるということです。そしてまた、“世俗内的禁欲主義”を訴える点についても指摘しています。

 “世俗内的禁欲主義”とは少し難しい表現ですが、それはこういうことです。禁欲と言うのは、在家(ざいけ;普通の家族にいること)の人々にとっては当たり前の様々な人の持つ欲求を、意思の力で断つということです。奢侈〈しゃし;贅沢〉はその第1ですし、宗教によっては僧侶や修道僧の妻帯を禁止しているものもよくあります。そして、精神を発達させて教義の極意を得るためには、食を細くして、あるいは断食までして、修練に励まなければならないとしています。そうして初めて、僧としての悟りを開き、あるいは神の声が聞こえるようになると考えています。

 それは在家を離れて出家〈しゅっけ〉して初めて成し遂げられることでした。中世の伝統的仏教が権力を得たのは、その僧侶が貴族の家から出て(出家して)仏門に入った者が多く、仏教者と朝廷の権力者(貴族)が血縁関係にあったからです。そしてこのことは、ヨーロッパで権力をもった修道院についても同様でした。しかしそうである以上は、農民、商人、職人といった人々は、僧侶の援けなしでは仏や神の声を聞けないことになります。或いは、祈りを届けることすらできません。それでは農民や市民はいつまでたっても、権力者から自由にはなれません。

 そこで中世の日本でもヨーロッパでも、宗教改革が行われて、農民や市民が直接仏や神に近づくことができるようにしたのですが、その手段が世俗内的禁欲であったのです。通常の仕事を在家で行いながらも、奢侈の心や行いを断ち、精神を高く保てば仏や神に近づき、往生でき、あるいは世界が終わるときに神の国に入ることができるとされたのです。

 ここで重要な点は、2つあります。1つは、僧侶が農民や市民と仏や神との交流の仲立ち者としては不要になったということです。これは、寺や教会、あるいは修道院の権力を奪うことになりました。そして仏や神の前で、すべての個人は平等だと言うことになりました。つまり、身分というものが意味をなさなくなったのです。

 そして第2に、農民や市民は自ら個人や家族のためだけに生きてはならず、地域のため、あるいは周りにいる困窮者のために献金や献身をしなければならなくなったことです。これら2つの点が、日本の浄土真宗とヨーロッパのキリスト新教を産んだ宗教改革のもっとも枢要なる点だ、と小塩丙九郎は考えています。

2017年1月4日初アップ 20〇〇年〇月〇日最新更新
©一部転載の時は、「『小塩丙九郎の歴史・経済データバンク』より転載」と記載ください。



end of the page