小塩丙九郎の
歴史・経済データバンク

18. 日本第3の大経済破綻


〔4〕国債の置かれた土壇場の風景

(9) 銀行の国債離れは続く

 2000年代まで、国債の最大の保有者は銀行でした。但し、この銀行には郵政民営化前の郵便貯金も含まれています。その最大の国債保有者である銀行の国債保有額は、2011年度をピークとして急減しています(下のグラフを参照ください)。2011年度末に380兆円あった国債保有額(長期国債分と短期国債分を合わせた額)は、2015年度末には242兆円と138兆円も減っています。率に直すと、36.4パーセントと言う大幅な減額です。

出典:日銀『資金循環統計』データを素に作成。

 それでは、国債の保有額を減らして浮いた銀行の資産は、何に使われたのでしょうか? それが実は、何にも使われてはいないのです。国債保有額が138兆円減っている一方で、銀行の持つ現金等資産が252兆円も増えています(下のグラフを参照ください)。国債を買ってくれたのは日銀ですから、日銀から支払われた現金すべては、銀行の金庫にそっくりと納まったことになります。もっともデジタル時代の今日、100兆円を超える1万円札の束が日銀の金庫から各銀行へ輸送車で運ばれると言うようなバカげたことはなく、日銀と銀行の帳簿上の数字が関係者の合意の下に書き替えられただけのことですが。

出典:日銀『資金循環統計』データを素に作成。

 日銀が2012年度から始めた“異次元の金融緩和”策は、日銀が大量の通貨、円、を発行して、それを企業にばらまいて企業の事業意欲を喚起することだと説明されました。そうすれば、デフレからの脱却も同時にできるのだと。その政府と日銀の新しい政策に基づき、日銀がやったことと言えば、自ら大量に追加発行した通貨、円、で、銀行から大量の国債を買い上げることでした。そのことによって、大量の資金のゆとりを得た銀行は、比較的低利で企業に融資し、それを財源として企業は設備投資をして、古い設備を最新型のものに置き換えたり、あるいは工場や事務所を拡張して、そのことが日本経済の成長に繋がるはずだとされました。そしてそうして経済が活性化されれば、デフレもなくなるのだと。

 しかし実際には、そうはなりませんでした。超低利とは言え金利を産んでいた国債を失った銀行が得たものは、何も果実を産むことはなく金庫にひたすら眠り続ける現金だったのです。これは、あらかじめ予測されたことでした。なぜなら近年、企業の預金は膨れ続けてきました(その様子はここに説明しています)。それは企業には、適当だと思える投資先が見つからなかったからです。自己資金を使えば金利はゼロですし、借款をするために銀行マンの執拗な質問に答える必要もありません。企業は資金不足で事業拡大ができずにいたわけではなく、自らの産業技術開発力と経営技術が劣化したために、国内外での新たな投資先を見つけられないでいたのですから、そこに有利子の資金を低利で提供するからと言われて喜ぶ企業など1社もあるはずはなかったのです。

 こうして銀行が僅かにできたことと言えば、海外から証券を買い取ることぐらいでした。自社の中には伝統的に有能な金融マンがいなくて、精々が投資コンサルタントに提案を求めたり、あるいは投資コンサルタント個人を自社で雇えば海外証券を買うことぐらいはできる日本郵政グループ(資本としてはゆうちょ銀行の預金と簡保の積立金)でもそれならできます。こうして、銀行の国債保有額は急激に減り続けているのです。そしてこのことは、銀行自身の経営判断によると言うより、内閣の命を受けた政府官僚と日銀官僚から実質的に命令されて行っていることです。日本の銀行に、政府官僚と日銀官僚に抵抗する力は与えられていません。日本は、近代資本主義国家ではないからです。

 2016年6月に、銀行最大手の東京三菱UFJ銀行は、国債購入のための入札する資格であるプライマリー・ディーラーのグループから離脱していて、そのことについては、銀行の金利体系の大幅な変更を強いるマイナス金利政策への“ささやかな”抵抗であるという専らの評価です。“ささやかな”と言う意味は、離脱したのは三菱東京UFJ銀行だけであり、同じグループに属す三菱東京UFJモルガン・スタンレー証券鰍ニモルガン・スタンレーMUFG証券は、依然としてグループ内に留まっており、しかも国債を大量購入するのとし銀行ではなく証券会社であり、三菱東京UFJ銀行の離脱の影響はとても限られたものと見込めるからです。

 とは言え、グループを代表する三菱東京UFJ銀行の離脱の意味は大きいと考えなければならないでしょう。なぜなら、日本の都市銀行群が、今の政府と日銀が協働する発行通貨残高(マネタリーベース)の拡大→赤字国債の大量発行と日銀による買い取りという経済政策に満足せず、むしろ不安を感じているという意思が表明されたと思うからです。大量の通貨発行と巨額の赤字国債の発行を行った後、その後始末をどうするのかと言ういわゆる“出口戦略”について、最大の関心をもっている企業群は都市銀行でしょう。

 そして都市銀行は、今の日本の経済体制の中で、経営判断を行う自由を与えられてはいません。いわば箸の上げ下ろしまで事細かに財務省(金融庁を含む)官僚に指示されている立場にあります。だから、「そろそろ何とかしてくれないか?」とおずおずと政府と日銀官僚に訴えたのでしょうが、貸す相手がいない400兆円を超える巨額の現金(銀行総資産1,825億円の23.5パーセントに当たる428兆円)を抱えた都市銀行群は、土壇場に追い詰められつつあるとの意識を共有しているのだ、と小塩丙九郎は推量しています。

 第2次大戦後の大経済混乱を都市銀行は乗り切って来てはいますが、その過程でアメリカ占領軍司令部、GHQ、による銀行幹部の大量パージ(公職追放)を受けるなど、大きな被害を都市銀行も出してきました。誰しも、先行きが読めないと次第に不安が募り、効果的な策が打てなくても、あるいはそうであるからこそなおさら、小さなことであれ何かをせずにはおれない、と言うのが転職というオプションをもたない終身雇用された会社員である、と言うのが小塩丙九郎が彼らを見て思うことです。

2017年1月4日初アップ 20〇〇年〇月〇日最新更新
©一部転載の時は、「『小塩丙九郎の歴史・経済データバンク』より転載」と記載ください。



end of the page