小塩丙九郎の
歴史・経済データバンク

18. 日本第3の大経済破綻


〔2〕計画経済主義者がこだわる円安政策

(3) 輸出力は為替相場とは関係がない

 1980年代半ばにさしかかって、アメリカの貿易収支が急速に悪化したのは、1980年代初頭からアメリカの輸出額が急激に減少したからです(下のグラフを参照ください)。一方、同じ時期に日本の輸出額の伸びは、それ以前と同様の比較的ゆったりとしたものでした。しかし日本の輸入額は、1980年代に入ってから、1970年代までと違って減少し始めていました。

出典: OECDデータベースstatのデータを素に、アメリカ労働省データベースの消費者物価指数で調整して作成。

 これらのことは、アメリカの貿易収支が悪化したのは、日本の輸出力が急速に強まって、結果としてアメリカが貿易赤字に陥ったのではないことを示しています。言ってみれば、日本は特段のことをしていないのに、アメリカが1人で勝手に転んだのです。対日貿易赤字が拡大したからといって、日本の対米輸出を仇にして責めるのは、随分とお門違いです。そしてそのアメリカの主張を受け容れている日本の政府官僚と経済学者たちも、随分とお人好しであると言えます。

 以上のことを、別のデータで確認してみましょう。アメリカの対日実質貿易額の推移を実質円/ドル為替レートと同時に比べられるように同じグラフの上に、それらの数値を描いてみました(下のグラフを参照ください)。

出典: 財務省貿易統計の対アメリカの輸出入額を素に、1985年基準実質ドルに変換した。実質円/ドル為替レートについては、今までと同様の方法で算出した。

 プラザ合意は、1985年9月22日(日)に成立しています。そしてその影響は翌日の為替市場に直ちに現れています。合意前に1ドル=240円であった円/ドル為替レートは、年内中に1ドル=200円にまで達し、翌年の1986年末には1ドル=158円までの円高が進行しています。この急激な円高の中、1986年中のアメリカの日本からの輸入額は、653億ドル(1985年基準実質額)から790億ドル(同)へと20.9パーセントも増加しています。一方アメリカから日本への輸出額は、261億ドルから287億ドルへと10.0パーセントしか伸びていません。日本とアメリカの経済学者の主張に反して、円高は日本からアメリカへの輸出を抑制し、アメリカから日本への輸出を増進するという効果を発揮してはいません。

 円高は1987年にも続き、4月24日には1ドル=140円の大台をも超えていますが、それでも1987年の日本からアメリカへの輸出額は796億ドル(同)へと、わずかとはいえ増え続けています。そしてアメリカから日本への輸出額が大幅に増えるのは、ようやく3年後の1988年になってからのことです。

 これらの事実は、プラザ合意による円/ドル為替レートの無理やりの変更が、アメリカ全体にとって、或いは日米貿易について、何ら効果的な影響を与えているものではないということを示しています。先進国間の貿易に為替レートが大きな影響を与えることはない、のです。なぜなら、先進国の主要輸出品は高品質の高価格商品であり、製品が他国に売れるのは、価格が安いからではなく、品質がよく、或いは他に類例を見ない独創的なものであるからです。

 先進国の人件費や土地代は高いものです。もし先進国の輸出品が価格で競争するというのであれば、新興国や開発途上国の製品に勝ちようがありません。価格競争で市場を圧倒する商品は、先進国ではつくれません。だから、時代が下がるにつれて、旧い商品については新興国、さらには開発途上国に市場を譲り、自らは新たに開発した新製品、或いは差別的な高性能製品によって世界市場での高いシェアと、高い人件費を支払うために必要となる高い利益率を実現しなくてはならないのです。製品が世界市場で価格競争をせずに3割から4割という高い利益率を実現するために、このような不断の新たな市場開拓が必要となります。それが、先進国が永遠に先進国であり続けるための唯一の方法です。

 アメリカが1980年代前半に輸出力を失くしたのは、その間にドル高が進行したからではありません。そうではなく、1920年代までに開発した第2の産業革命(その詳しい説明はここ)よる工業製品の生産方法を、第2次大戦後の日本やドイツなどのアメリカの第2次の産業革命を模倣しつつ戦後復興の過程で学び、その上でアメリカより人件費等のコストが安いことを武器に世界市場に溢れさせた結果、アメリカがそれらの商品についての競争力を失う一方で、アメリカを世界最先端国たらしめる新たな産業技術に基づく高品質・高性能商品を開発できていなかったからです。そして、1980年代末以降にアメリカからの輸出が急増し始めるのは、アメリカの第3の産業革命(その詳しい説明はここ)の成果が輸出産業に現れて始めたからです。つまり、革新的な情報産業製品の登場です。

 そして、輸出産業が勢いよく成長する国の経済は強くなり、そのことはその国の通貨を強くします。日本との関係でいえば、1980年代末以降、実質円/ドル為替レートは、円安ドル高方向へ向かうのです(下のグラフを参照ください)。これが、1990年代以降の円/ドル為替交換市場の動向についての科学的な理解です。これを日本の政府官僚や多くの経済学者のように、実効的には意味をもたない名目円/ドル為替レートの動向にのみ目を取られて、長期的な円高ドル安が進行したなどと言っているようでは、世界の市場動向と日本が置かれた経済状態を正しく理解できるはずはないのです。

出典: 財務省貿易統計の対アメリカの輸出入額を素に、1985年基準実質ドルに変換した。実質円/ドル為替レートについては、今までと同様の方法で算出した。

 以上説明したように、1960年代の円高状態での日本の輸出の増加も、1980年代のドル安状態でのアメリカの輸出の減少も、何れもこれら2国の輸出額の増減と為替レートの推移との関係の深さを物語るものではなく、それらの間に関係がないことを証明しているのです。そして、先進国にとっての重要なことは、世界市場で自国製品が発展できる産業技術の開発と確保なのです。産業技術ということの意味を理解できない日本やアメリカの政府官僚や経済学者は、いつまでたっても間違い続けざるを得ません。

 そして、円安政策が日本の輸出産業を活性化するための第1の策だとして日本の政府官僚とそれと連携する経済学者たちが跋扈〈ばっこ〉する限りにおいて、日本の大経済破綻の日はやがてやってこざるを得ないのです。

2017年1月4日初アップ 20〇〇年〇月〇日最新更新
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