小塩丙九郎の
歴史・経済データバンク

18. 日本第3の大経済破綻


〔2〕計画経済主義者がこだわる円安政策

(1) 輸出が増えると円高になる

 1940年代末に、日本の為替政策がどういう経緯で始まり、その後しばらくの間はどう進んだのかと言うことについては、別のところ(ここ)で詳しく紹介しています。官僚と経済学者が、当初から名目為替レートのみに着目して、日本とアメリカの物価変動にはまったく関心を払わず、つまり円とドルが年を経るに従いそれぞれ別の速さで価値を失って行くということは無視して、科学的な観察者であれば重要視するはずの実質為替レート、つまり両国の物価変動を関して修正を加えた実効上の為替レート、は無視すると言う慣習が1940年代末から1950年代にかけて固定された、と言うのがその本質的な意味です。

 それでは、それ以降、日本の為替政策は一体どのように展開されたのでしょうか?

 先ずは、1949年2月に1ドル=360円と言う固定レートが設定された後、この名目為替レートと実質為替レートがどのように違って行ったのかと言うことを見て見たいと思います(下のグラフを参照ください。以降すべてのグラフは円高になればグラフが上向くように縦軸の上下方向を逆転していますので、注意してください)。

出典:以下のデータを素に算出、作成。
円/ドル為替レート:The University of British Colombia, Sauder School of Business為替レート検索エンジン
日本の消費者物価指数:日本統計協会著『日本長期統計総覧』(1988年)
アメリカの消費者物価指数:アメリカ労働省データベース


 実質レートがおおよそ1ドル=360円の水準で維持されたのは、1952年中までのことであり、それ以降はアメリカの物価が比較的安定していたのに対して日本の物価上昇率が高かったので(下のグラフを参照ください)、1955年には実質円/ドル為替レートは、1ドル=300円にまで上昇しました。名目レートは固定されていたのですが、実質レートは60円、円高になったということです。そしてその後はアメリカの物価も上昇したため、実質円/ドル為替レートは1ドル=320円近くまで円安になったのですが、1960年代に入って以降10年間以上にわたって実質的には円高が進行し、1970年末には1ドル=230円近くにまで上昇しました。

出典: 日本の消費者物価指数:日本統計協会著『日本長期統計総覧』(1988年)
アメリカの消費者物価指数:アメリカ労働省データベース
年上昇率:各月の前年同月に対する上昇率


 つまり、1ドル=360円の固定レートを維持したことは、実質的に円安状態を維持したことにはまったくなっておらず(もっとも1ドル=360円が円安状態と言っていいのかと言うことについて、議論は当初より定まってはいなかったことは、別のところ〈ここ〉で示した通りです)、およそ6割近くもの円高が進行していたことになります。もし実質1ドル=360円の円/ドル為替レートを維持したいのであれば、名目上の為替レートは1ドル=550円としていなければならなかったという計算になります。ドル安(円高)がアメリカにとって貿易上有利だというのであれば、1ドル=360円固定レートの維持はアメリカにとって一方的に有利であったということになります。ここで、既に1ドル=360円の円安為替レートを維持するのが政策目標であったという主張が、実質的には何の意味も持っていないということが明らかになりました。

 それではそのように実質円高が進行していたときに、日本の輸出産業は苦しい思いをしていたのでしょうか? 1960年代、実質上の円高が着実に進行していたのですが、それでも1960年代を通して(物価上昇の影響分を除いた)実質輸出額は毎年平均およそ10パーセントという高い率で伸び続け、1960年代後半には貿易黒字を出すまでになっています(下のグラフを参照ください)。つまり、1960年代の日本の輸出産業は成長を続け、その間にも実質的な円高傾向は続いていたのです。

出典:日本統計協会著『日本長期統計総覧』(1988年)掲載データ(輸出入額と消費者物価)を素に作成。

 ここで、円高は日本の輸出産業を傷めるものではなく、日本経済の成長の結果が評価されたのが実質上の円高であると理解しなければならない、と言うことに気付くべきなのです。為替レートの変動はその国の輸出産業力の大きさによって決まる“結果”なのであり、為替レートの高低を“原因”として輸出産業力の大きさが変動するわけではないのです。日本の多くの経済学者の主張は、原因と結果を取り違えると言う統計学を学び始めたばかりの学生が陥りやすい錯誤を表わしたものであると言えるのです。このとき既に、為替レート政策の無用が証明されていたことになります。

 にもかかわらず、政府官僚と多くの日本の経済学者は、1ドル=360円の“円安為替相場”を維持することが、日本の国益になると主張し続けました。このときに、経済学上は誠に意味不明な日本の為替政策についてのこだわりが始まっています。もし官僚と日本の多くの経済学者の主張を弁護するのであれば、何らかの外的要因、例えば短期的だと思われる世界経済の景気の後退など、によって日本経済が短期的な景気対策に迫られているのだとすれば、短期の緊急景気対策として時限を限って強引な為替政策を行うことに意味があるのかもしれません。もっともそれは、自国の都合だけを優先した他国の迷惑を顧みない行為ですから、道義的にはまったくほめられたものではありませんが、、、。

 しかしその行為は、短期の貿易収支を改善し、短期に輸出企業の経営を改善する効果しかもつものではありません。既に指摘したように、為替レートの変動による経営状況の変化は、その輸出産業の実力を上げることにはまったく貢献していないと言うことは、常に覚えておかなければならないことです。しかし、日本の多くの経済学者は、短期の景気対策である為替政策が、日本の輸出産業の発展に貢献すると長年にわたって主張し続けているのですが、これは完全な間違いであると言わなければなりません。短期の景気対策と長期の産業力開発政策は、まったく別物です。

 しかし、この官僚と多くの経済学者の誤った主張が続くことにより、日本の経済政策はさらなる混乱を招くこととなりました。

2017年1月4日初アップ 20〇〇年〇月〇日最新更新
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