小塩丙九郎の
歴史・経済データバンク

14. 日本の第2の大経済破綻



〔1〕先進国から遅れ続けた産業技術

(2) 遅れた戦艦建造技術

 日本海海戦で3つの新武器技術を開発し、導入した日本海軍でしたが、しかし、使用した艦船のうち3,700トン以上の国産大型艦は巡洋艦橋立(4,217トン)のみでしたが、これは日清戦争前に急いで竣工された旧型艦であり、旗艦三笠(15,140トン)以下戦艦6隻すべてはイギリス製であり、その他8隻の装甲巡洋艦もすべて外国製で、日清戦争以降に造られた新造巡洋艦8隻は、すべて3,700トン未満の装甲のない小型艦に限られています。日本の艦船建造技術は、商用船建造技術についてそうであったのと同様に、未発達だったのです。

 その後、1904年に日本は当時世界最大であった戦艦薩摩(19,372トン)を起工し、1910年に就航させています。しかし、戦艦薩摩が1904年に起工してより就役まで6年間を要している間に、イギリスでは弩〈ど〉級と言われる戦艦ドレッドノートを1905年に起工し、1906年末に就役させています。日本とイギリスの建艦技術の違いは、艦船の建造スピードの大きな差にも表れているのです。

 ドレッドノートは排水量で薩摩に僅かに劣る(18,110トン)というものの、蒸気タービン機関を搭載して高速である(21ノット、薩摩は18.25ノット)うえに、特にその火力で薩摩など当時の最大級の戦艦を圧倒していました。薩摩には、12インチ砲4門が搭載されていたのに対し、ドレッドノートは12門を装備し、片側の砲8門を同時に発射できました。彼我の戦闘能力の差は、歴然としています。薩摩は就役した時には、すでに世界の二流艦となっていたわけです。これに慌てた当時の日本海軍は、イギリスのヴィッカー社に戦艦金剛を発注します。イギリスの建艦技術を得たかったからです。しかし、金剛が日本海軍が外国に発注する最後の艦となりました。歴史学者や経済学者の多くは、薩摩が建造当時世界最大であったということを根拠として、日本の武器技術が世界水準に達したと言うのですが、果たしてそれは公正な評価と言えるでしょうか?

戦艦ドレッドノート・主砲塔(上)と戦艦薩摩(下)
〔画像出典:Wikipedia File:HMS Dreadnought 1906 H63596.jpg (ドレッドノート)、File:HMSDreadnought gunsLOCBain17494.jpg (同主砲塔)、File:Japanese battleship Satsuma.jpg (戦艦薩摩)〕

 その後、中国侵略に突き進んだ日本は、イギリスやアメリカとの良好な関係を失います。そして、太平洋戦争に向かうのですが、艦船建造技術については2つの意味で、世界最先端水準に遅れました。1つは、世界が航空母艦中心の機動部隊編成に向かっていたのに、日本は依然として巨艦の建造を進めたことです。もともと、空母中心の機動部隊編成に世界で最初に着手したのは、日本海軍であったかもしれません。山本五十六が中心となる航空主兵論者グループ(対外協調を主張したので“条約派”ともいいます)活躍の成果です。彼らは、浅海で敵艦を魚雷で攻撃する戦法も編み出しました。

 この派が海軍中を圧すれば、日本は世界最新鋭の艦船体系を持てたかもしれません。しかし、一方に頑迷固陋な巨艦主義を唱える艦隊派というグループがあり、遂に日本海軍の基本政策を一つにまとめることができませんでした。そのため、逼迫した海軍予算の中で、時代錯誤の大和、武蔵という巨艦を造ることに巨額の費用と有能な技術者を含む多くの人力を無駄に割くことになってしまいました。海外に艦船を発注する時につきものであった収賄事件からは解放されたのですが、同時に世界最先端技術を獲得する道も失ったことの意味は大きいものでした。

  • 日本の官僚制度の最大の欠点は、派閥争いを克服できないこと。

  • 陸軍では砲兵派閥と歩兵派閥、海軍では空母派閥と巨艦派閥が派閥の優越を最大目的とした。

  • 背後で薩摩派閥と長州派閥の争いが延々と続いた。

 そして、2つには、航空母艦と艦載機の建造技術が世界最先端に届かなかったことです。日本海軍の空母は、その規模は誠に堂々としていましたが、守りの備えが不十分で、太平洋戦争中にアメリカの潜水艦が発した魚雷ただ1発によって撃沈された例が2件もあります。大鳳(29,300トン)と大鷹(17,800トン)です。大鷹は、貨客船の改造艦で若干のハンディキャップがあることは認めなければならないかもしれませんが、大鳳は初めから航空母艦として設計・建造された艦でした。つまり、1906年に戦艦薩摩とドレッドノートとの間に生じていた彼我の建艦技術力の差は、太平洋戦争が終わるまで、一度も埋まることはなかったのです。
大鷹(上)と大鳳(下)
〔画像出典:Wikipedia File:Japanese aircraft carrier Taiy? cropped.JPG (大鷹)、File:Japanese aircraft carrier Taiho 02.jpg (大鳳)〕

 日本とアメリカの海軍力を戦艦や航空母艦の数やトン数で比べるのが一般的ですが、他の武器と同様に、それぞれの艦の性能は、それ以上に重要なのです。そして残念なことに、その点において日本はアメリカに劣っていました。そして艦隊司令技術についてはさらにそうであったことは、別のところ(ここ)で詳しく説明します。

2017年1月4日初アップ 20〇〇年〇月〇日最新更新
©一部転載の時は、「『小塩丙九郎の歴史・経済データバンク』より転載」と記載ください。



end of the page