小塩丙九郎の
歴史・経済データバンク

13. 近代資本主義から遠ざかった明治・昭和


〔1〕民業の官営化が進んだ

(8) 日本の鉄道国有論は何を意味するのか?

 日本の鉄道国有論が一体どのような意味を持つものでるかを確認するためには、他国の例と比べてみればすぐにわかります。イギリスの鉄道は、綿工業、鉄鋼業などと並んで18世紀に始まる産業革命を支えた重要な支柱の1つであり、第二次世界大戦が終わるまで一貫して民営であり続けました。しかし、戦後の1947年、労働党政権の下で輸送法を定め、翌48年に幹線鉄道はすべて国有化されました。しかし1993年にジョン・メジャーが率いる保守党政権の下で鉄道法が定められ、サッチャー政権の確立した経済自由化政策に沿った鉄道民営化が行われています。

 ドイツは、普仏戦争(1871年)に勝ってフランスより手に入れたアルザス圏の鉄道を帝国直轄としたことに始まって、鉄道建設を国営としています。プロイセン(ドイツ)は、国王ヴィルヘルム1世の下オットー・フォン・ビスマルクを宰相として、国家権力で経済の開発・運営を行っていますが、その社会インフラとしての鉄道を当然のことのようにして国有とし、国営としました。日本のマルクス経済学者たちは、それを「ビスマルク的国有」と名付けて、社会主義に対峙し、同時にイギリス型資本主義にも対置される資本主義として分析したうえで、20世紀初頭の日本も同じ類型に属していると整理しています。

 アメリカでは、南北戦争(1861〜65年)でエイブラハム・リンカーン大統領率いる北軍が、奴隷解放反対という大義を兵士たちは感じて士気で勝る南軍に対して勝利に導いたのは、鉄道と電信とされています。敷設されたばかりの電信により情報をロバート・リー南軍司令官より早く知ったリンカーンが、南部より発達した鉄道網を活用して自軍を機敏に動かしたことが北軍勝利の大きな要因になったからです。電信と鉄道は何れも戦時下には連邦政府の管理下に置かれ、国有化されてはいなかったことが、しかし、戦争遂行上の支障にはなりませんでした。そして戦争遂行上での鉄道と電信の決定的な重要性をはっきりと認識しても尚、アメリカはそれらを国有化しようとはしませんでした。

鉄道を国有とするか民営とするかは、
国の体制で決められた。
  • 全体主義国家:国営

  • 民主主義国家:民営

 日本の鉄道国有化を主張する議論の中で、鉄道が一貫して統一されずにバラバラであることが不都合であるという議論がされました。しかし、産業革命期にあったイギリスでもアメリカでも事情は同様であり、中小零細鉄道が割拠したのですが、それ以降経済が発展するに応じて様々な形での合同・合併が進みました。開発初期に全国の鉄道網が統一されていないということは、何ら不都合なことではありません。

 むしろ、企業が集約されていく過程で、企業合同・合併の技術やそれに対応した資本市場が成長するのであり、その意味では、自由に放置された市場で企業が集約されているという道程での様々な人や企業の工夫と努力が、近代資本主義経済の発展を促すとも言えます。現に、鉄道国有法制定の頃に、既に日本でも官営鉄道を含む違った鉄道会社相互の乗り入れ直通運転は始まっていましたし、大鉄道会社の中小鉄道会社吸収という形での企業合併も進んでいました。そのまま放置すれば、南が主張したような、民営大企業の競争する鉄道網が日本に完成していた可能性は大いにあったのです。

 以上からはっきりと分かることは、全国幹線鉄道網を国有化するかどうかというのは、ひとえにその国の政府の実現したい経済・社会体制の構想のあり様によって定まるのです。そして、1906年に、日本は、国として、当時のドイツと、そして1948年のイギリス労働党政権と同じ選択をしたのです。それが、1906年の鉄道国有法という法律の制定が意味するところです。

2017年1月4日初アップ 20〇〇年〇月〇日最新更新
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