小塩丙九郎の
歴史・経済データバンク

13. 近代資本主義から遠ざかった明治・昭和


〔1〕民業の官営化が進んだ

(7) 鉄道国有化に反対し続けた技術官僚

 小塩丙九郎が発見した唯一の渋沢の転向を指摘する経済学者は、島田昌和です。彼は、その著『渋沢栄一』(2011年)の中で、渋沢が民間企業活動を中心とした自由競争主義から保護主義に主張を大きく転換していると説明しています。そして、

 「近時における欧米諸国の発達はその根源保護主義に出で、しかも盛んにこの主義によって世界の経済戦争に勝利を占めつつあることに思い及べば、自由主義なるもののみにて今日に処するは、果たして時世に適する方法であるかどうかは疑問である。まして我国の如き未だ単独に自由競争をなし得られぬ事情がある」(『対外商策と自由保護主義』〈東洋経済新聞1903年2月号〉)

という渋沢の発言が紹介するのですが、だとすれば、1906年の鉄道国有法の審議に当たって、渋沢がその賛成論を引っ張っていたとしても不思議ではありません。

 渋沢とは違って、最後まで鉄道国有論に反対し続けた者がいます。南清〈みなみきよし〉です。会津藩の小禄の武家に生まれ(1856年)、上京して開成学校(帝国大学の前身の一)などで英語を学び、工部省に入り、さらに工部大学校(これも帝国大学前身の一)に入学して、今度は技術を学び、工部省で鉄道技術者として活躍を始めます。

南清
南清
〔画像出典: Wikipedia File:Minami Kiyoshi.jpeg〕

 南はイギリスとアメリカに都合2度にわたって留学して、英米の鉄道建設のあり様を実地に学び、鉄道国有論が勃興するにつれて、「全国の線路を挙げて一手に帰し、競進の途を途絶するものなるを以て、鉄道其者の前途を観察すれば転々寒心に堪へざるものあり」と述べ、全国に8大幹線を建設して、それぞれ別企業に経営させて、それらの競争を行うことにより日本の鉄道は進歩できると主張しました(老川慶喜著『鉄道』〈1996年〉より)。文官ではなく技術官僚が国の経済構造のあり方について研ぎ澄まされた見解を持っていたことに、小塩丙九郎は深い感銘を受けています。権力欲に取り憑かれていない者には、社会が正しく見えるという好例です。


 渋沢が他の者と大きく違っているは、鉄道国有化が日本の産業構造の変質を大きく決定づけるものであるということを意識した上で、なお、鉄道国有論を選択したということなのです。その分、罪がより深いと小塩丙九郎は考えています。かつて、大久保、大隈、そして渋沢の3人がイギリス流の近代資本主義体制の構築を夢見ました。しかし、大久保が暗殺され、大隈は三井の財閥化に積極的に手を貸したのですが、残る渋沢も、ついには近代資本主義社会の建設を諦め、転向したのです。1906年は、日本の近代資本主義体制の否定が最終的に定まった経済史上まことに重要な年なのです。しかし、繰り返しになりますが、現代の経済史には、このことについての記述はまったくありません。

2017年1月4日初アップ 20〇〇年〇月〇日最新更新
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