小塩丙九郎の
歴史・経済データバンク

13. 近代資本主義から遠ざかった明治・昭和


〔1〕民業の官営化が進んだ

(11) 産業統制が強まり続けた電力産業

 電力産業については、当初自由な民営事業として開始されました。明治期にはまだ水力や蒸気機関で動く機械が主力であったため、電気供給の主目的は都市家庭の電灯や台所調理器具のエネルギー供給事業として観念され、その重要度は低いと考えられたためと思われます。例えば、当時日本最大であった電力企業の名称は、東京電燈梶i1883年創設、1887年送電開始)と言いました。

 1911年に電気事業法が初めて制定された時には、自由競争としていたのはそのためであると思われます。しかし1906年に建設された王子製紙工場が初めて蒸気機関ではなく電動機(モーター)を動力として使って以降、日本にもエネルギー革命が起こりました。フォードがモータを駆使したベルトコンベアーのラインをつくったのが1914年(ハイランド工場)ですから、日本のエネルギー革命は、世界の趨勢には遅れていなかったということになります。1910年代に入って漸増していた電力供給は1917年に爆発的に増え、工場の電化率は5割を超えました。この頃には、電燈事業は電力事業に性格を変えています。

客船の空母への改装 出典:藤田正一著『わが国における初期の電気事業法の展開と公益事業規制との関連性』(1984年on-line pdf.論文)掲載データを素に作成。への改装

 1926年に東京帝大教授と内務省土木試験所長を兼ねる物部長穂(もののべながほ)が水系一貫開発の必要性を唱え、内務省が河川総合開発のための国家統制策を採用すると、逓信省官僚は電気事業を国家統制する主張を始めます。電力開発がダム開発を中心に行われていたため、河川行政と電力行政には深いかかわりがあったためです。逓信省官僚は、半官半民の国策会社を設立することを図り、電力事業法の改正に取り組みます。

客船の空母への改装
電力統制のきっかけとなった水力発電所開発
(木曽川大井ダム;1924年竣工)〔画僧出典:Wikipedia File:Oi Dam power station.jpg 著作権者 Qurren 〕

 1931年に電力事業法は改正されたのですが、それによって逓信省官僚は発送電について統制する権限をついに獲得しました。また併せて、1911年の電力事業法では実現できなかった電気料金の認可権限を併せて得ています。民間電力企業は、国策会社の設立には強く反対したのですが、官僚統制については合意しています。

 その頃全国に多くの電力会社があったのですが(1926年:810社)、東京電燈,宇治川電気,大同電力,日本電力,東邦電力の5大電力会社が電力産業を支配するようになっていました。これらの主要電力企業が、競争より経営の安定を求めて、地域独占と電気料金の統制を希望したのです。つまり、民間資本そのものが、市場競争よりも逓信省官僚と癒着した市場管理を選んだということです。既存企業が成長し、市場で有力になると、やがて市場管理を欲するようになるという歴史の流れが、ここではっきりと現れています。

 しかし、その民間資本の保身の姿勢は、官僚によって利用されることになります。1938年に、電力管理法、日本発送電株式会社法などからなる電力国家統制法が制定されます。この法律によって全国すべての発送電施設は接収され日本発送電鰍フものとされました。形式は半官半民ですが、日本製鐵鰍ニ同様に完全な国策会社であり、政府官僚の管理するものでした。ただ、この頃には逓信省官僚より軍官僚の方が電力事業についての統制権限を発揮し始めていました。つまり、カルテル組織をつくりたかった5大電力企業と、電力統制権限をもちたかった逓信省官僚の自己肥大欲は、軍官僚に利用され、そして取り上げられたことになります。


 このように、明治時代初期から昭和前半期に至るまでの日本の電力産業は、当初は自由な企業活動から始まったものの、大企業に成長するとともに、一方では民間企業経営者たちが自ら管理市場を望み、産業統制を求める逓信省官僚と癒着し、さらに統制権限を求める逓信省官僚の権力拡大欲が軍部官僚によって奪い去られるという歴史を辿っています。このように、この時代の電力産業は、次第に、そして着実に、近代資本主義経済体制から遠ざかり続けたのです。

 民間電力企業は、日本発送電鰍ゥら電力供給を受けて地域への配電業務を行うことで生き伸びました。そして民間企業が発送電業務を行う権限を回復するのは太平洋戦争敗戦後の1951年のことですが、その時に全国の電力会社は9つの地域独占会社に統合され、通産省官僚による電気料金認可制となり、そして電力開発鰍ェ合わせて設立されて、現在の制度に至っています。

2017年1月4日初アップ 20〇〇年〇月〇日最新更新
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