小塩丙九郎の
歴史・経済データバンク

10. 終身雇用を棄てたアメリカ労働市場


(7) アメリカの工場労働者の雇用史(後篇)

 多くのアメリカの工場労働者にとって、幾度かのレイオフを経ながらも1つの工場に長期にわたって雇用され続けることは多いのです。新たな工場に行くより、元の工場に居残って先任権を確保し続ける方が、雇用を安定する上でも、内部昇進制度によってより高い賃金を得るためにも、はるかに有利だからです。このような状態は、レイオフ期間中の一時的失業を無視すれば、工場労働者は一つの企業に終身雇用されているとも言っていいと思います。そしてまた、ホワイトカラーと同様に、ブルーカラーにも定年制はありません。それは、年齢差別として禁止されているからです(但し、年齢差別禁止法の規定により70歳まで)。

 この先任権は、当然より高齢の者に有利な制度なのですが、しかし、若い労働者もこの先任権を積極的に受け入れました。これがなければ、企業がより高齢者から順に解雇することが一般的であったので、高齢になっても生活の安定を願う若い労働者は、将来のために今は割の悪い状態に置かれることは仕様がないことだ、と理解したのです。

 日本の整理解雇、つまり永久解雇、をイメージして、アメリカの工場労働者のレイオフという名の解雇を考えると実態を大きく見誤ることになります。そして、日本の政府や企業経営者は、或いは経済学者までもが、そのような日本人の誤解を正すことはせず、日本の雇用制度は簡単に労働者をクビにするアメリカの雇用制度よりはるかに労働者にやさしいと主張していますが、そのような態度には大いに問題があるでしょう。

 このようなアメリカのブルーカラーの雇用慣行の変遷が最も一般的なものですが、しかし、これだけがすべてではありません。19世紀末から20世紀にかけて、アメリカの企業経営者の中には、ブルーカラーと対立するのではなく、互いの信頼関係を築き上げていく方が、結局は企業利益により結び付くと考える者も少なくありませんでした。例えば、フィルムメーカーのコダックが有名です(なお、コダックのジョージ・イーストマンは、カーネギー、ロッコフェラーと並ぶ大慈善家としても有名です(説明はここ)。

コダックのジョージ・イーストマン(1954年切手)
〔画像出典:Wikipeda File:George Eastman stamp 3c 1954 issue.JPG 〕

 これらのホワイトカラーを長期雇用、実質的に終身雇用、することを原則として考えた工場経営者は、ブルーカラーも同様の経営理念で遇した方がいいと考えました。勿論、これらの製造する製品は耐久消費財ではなく、景気の動向の影響を比較的受けずに安定的に成長が期待できるものであったということが背景にあります。つまり、この考え方をアメリカの自動車産業の経営者たちは採り様がありませんでした。しかし、一部とはいえ、そのような企業経営者の考え方があったことも重要です。

 そしてこの考え方は、労働組合との争いの中で生まれたものではありません。そもそも「家族型経営」を行うこのような企業に労働組合はなく、経営者自身の思想に基づいて生まれました。そして、この経営理念は、アメリカの産業が情報技術の革新が進んだ結果、その構造の大変革を強いられることになる1970年代半ばまで生き続けたのです。

 これらの家族型経営をする企業では、工場労働者も長期雇用され続けました。その全工場労働者に占める割合は小さいのですが、アメリカの工場労働者すべての雇用形態が短期雇用で一様に塗りこめられていたわけではありません。そして、その短期雇用されたその他の工場労働者の解雇が、日本の整理解雇と同様の決定的なものでないことも忘れられてはならないと思います。

2017年1月4日初アップ 20〇〇年〇月〇日最新更新
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