小塩丙九郎の
歴史・経済データバンク

10. 終身雇用を棄てたアメリカ労働市場


(6) アメリカの工場労働者の雇用史(中篇)

 1920年代に入っても、一時の恐慌を除いてアメリカ経済は成長を続けました。しかし、労働生産性の向上は、機械化によってもたらされ、労働者の作業内容はますます単純化していきました。工程を計画し、管理するテイラー方式(その説明はここ)がその威力を発揮したわけです。しかし、工場労働者の大いなる技能向上を必要としないということは、工場労働者の賃金が上がらないという結果をもたらしました。好景気ではあったのですが、工場労働者は余剰気味で、工場労働者の生活内容は向上せず、だからといって買い手市場である労働環境では、工場労働者は企業経営者に、そして直接には職長に、雇用形態や労働環境の改善を強く要求することができませんでした。産業別労働組合の発展は、そのため抑えられました。

 この様子が変化し始めるのは、大恐慌下にあった1930年代です。経済が停滞すると、企業の生産高は大いに縮小し、工場労働者に支払える賃金が大きく減少しました。アメリカはそれ以前にも数度の恐慌を経験していましたが、今度のものはそれより桁違いに規模が大きく、しかも長く続きました。初期には、多くの企業がワークシェアリング、つまり工場労働者の1人当たり就業時間を制限してできる限り雇用者数を維持しようとしたのですが、遂には1人ひとりに支払える賃金が生活に必要な最低金額を下回るようになったので、レイオフを原則とするように多くの企業が移行しました。このことは、失業率を上げ、社会不安を醸成しました。

炊き出しを待つ失業者の列(1931年シカゴ)
〔画像出典:Wikipeda File:Unemployed men queued outside a depression soup kitchen opened in Chicago by Al Capone, 02-1931 - NARA - 541927.jpg 〕

 政府は、次第に雇用問題についての関与を強めつつありましたが、1935年に「ワグナー法」(正式名:全国労働関係法)を制定し、最低賃金、最長労働時間、労働者の団結権と交渉権、不当労働行為の禁止等を定めるに到りました。これに多くの企業が直ちに従ったわけではありませんが、それまでのように職長に工場労働者の解雇を含む管理権を委ねて企業は労働者を間接管理するという体制を維持することは急速に難しくなっていきました。一方、産業別労働組合の組織率は急激に上昇し始め、労働組合の力は増しました。そして、そのような体制は第2次世界大戦に突入するとともに決定的となったのです。

 第1次世界大戦中にも、アメリカの製造業はヨーロッパの国々からの大きな軍需で潤い、労働者の不足が生じましたが、第2次世界大戦は、ヨーロッパ大陸のみならず、太平洋をも主要な戦場とする第1次よりはるかに大きな規模の戦争であり、それだけ軍需の拡大も桁違いに大きいものでした。日本と同様に、アメリカも国挙げての総力戦体制に突入します。需要が拡大する一方で、多くの若者が戦場に送られるにつれ、国内の労働者不足は深刻となりました。

アルミ製砲弾をつくる女性労働者(1942年)
〔画像出典:Wikipeda File:Comparison of three stock indices after 1975.svg 〕

 技能労働者を強く欲した工場経営者たちは、それらの確保に奔走し、その過程でワグナー法に定められたブルーカラーの要求が認められていきます。それが、企業による長期雇用の約束であり、年功賃金制でした。日本では、ブルーカラーたちに第1次世界大戦中の労働者ひっ迫時に示された雇用条件が、ついに、アメリカでも提示されたのです。この実現のため、アメリカの労働組合(つまり産業別ナショナルユニオン)の果たした役割は大きいし、継戦能力の維持と向上を第一に考える連邦政府は、そのような状況の変化を支援しました。アメリカでも労働組合を嫌う経営者は、会社組合をつくって工場労働者を慰撫しようとしましたが、その試みは日本のように強制されていなかったので、広く普及することはありませんでした。

 しかし、この長期雇用と年功賃金の約束が、日本と同じ用語で語られたわけではありません。それは、アメリカでは、レイオフに伴う先任権(シニオリティ)と企業内部の昇進制の確認として歴史に残されています。先任権とは、工場経営者が、その都合に応じて工場労働者を解雇するときには、その労働者のその企業での勤続年数が短い者から先に解雇し、勤続年数の長い者の解雇は最後となり、そしてその工場が労働者の雇用数を再び拡大するときには、一旦退職した工場労働者のうちその工場での勤続年数が長い者を優先して雇用すると言う雇用主の約束として工場労働者に与えられた権利のことです。

 アメリカの企業は、自社製造品の需要の減退に伴い工場労働者を解雇しますが、これは永久に工場労働者を整理解雇する日本の工場の場合と違って、一時的なものであり、再雇用を前提としたものとされています。それが、“レイオフ(一時解雇)”の意味です。アメリカの工場労働者がレイオフされることは多いのですが、永久解雇、つまり日本でいう“整理解雇”される場合は多くはありません。つまり、その企業が破産してなくならない限りにおいて、工場労働者は、長年にわたって、つまり本人が望んで引退するまで、そこで働き続けることができるのです。

2017年1月4日初アップ 20〇〇年〇月〇日最新更新
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