小塩丙九郎の
歴史・経済データバンク

10. 終身雇用を棄てたアメリカ労働市場


(2) アメリカは終身雇用制だった

 多くの日本人は、終身雇用制は江戸時代の丁稚制に起源を発する日本固有の雇用形態であり、アメリカではホワイトカラーもブルーカラーも解雇自由であり続けたと信じ込まされています。しかしこれは、大いなるウソです。アメリカでは、1960年代までホワイトカラーもブルーカラーも実質的に終身雇用である長期雇用制の下にありました。

 アメリカの雇用制度は、大きくはホワイトカラー型とブルーカラー型に分けられます。雇用制度が労働経済学者の間で議論される時には、このうちブルーカラー型の、つまり工場労働者用の、雇用形態を論ずることがほとんどです。そしてそれが雇用形態全体を代表し、そしてそれについての日米の違いが、両国の労働慣行の、そして労働市場の、違いであると信じられています。

 現代の産業を成長させるのは、工場労働者ではなくて企業経営者、企画者、研究技術者たちですが、労働経済学者のそれらについての調査研究は、あるにはあるのですが、わずかです。だからアメリカのホワイトカラーや研究技術者の労働市場について書かれた報告書は日本ではほとんど発行されていません。ですから、見当違いのアメリカ人の書いた本がベストセラーになって、日本人の誤解がさらに強化されてきました。

 例えば、日本の雇用慣行が終身雇用制度であると初めて主張したのは、アメリカ人経営・経済学者のジェームズ・アベグレンですが、その著書『日本の経営』(1957年)の記述の多くは間違っています。先ず第1に、アベグレンは専ら日本の工場労働者の雇用慣行について述べているだけです。そもそも、この図書の原題は、“The Japanese Factory(日本の工場)“です。それを、「日本の経営」と訳し、日本の雇用慣行全体を扱ったように紹介した訳者と日本のマスコミに、積極的に日本人の誤解を誘導しようとした善意ではない意思を感じます。

江戸日本橋三井本店で働く奉公人(歌川豊春画)
〔画像出典:Wikipeda File:Interior in Mitsui Echigoya at Suruga-ch?.jpg〕

 第2に、日本の雇用慣行は終身雇用制であり、それは江戸時代の丁稚制度に始まる日本固有の伝統であるとしていますが、丁稚制度は終身雇用制度ではありません。将来幹部候補生として14歳くらいの年齢で雇用された丁稚のうち、終生商家に雇用され続け、或いは途中で暖簾〈のれん〉分けされてグループ内商家として留まれる者は、そのうちおよそ3分の1に過ぎません(例えば三井家の場合)。その他の者は途中商家の都合で解雇されています。丁稚は、雇用されて以来、現代以上に激しい出世競争にさらされていました(詳しい説明はここ)。


 第3に、アメリカの工場労働者の多くは“セニオリティ・システム”という雇用制度の下に保護されています。企業の業績が低迷すると、簡単に解雇されるというところまでは本当ですが、それは“レイアウ”トと呼ばれるもので、企業の業績が持ち直せば、再び通算勤続年数の長い者から順に再雇用される“権利”をもっています。また、賃金は通算勤続年数の長さによって定められています。勤務査定もありますが、その結果が賃金に反映される程度は、日本の工場労働はと比べてほんの僅かです。

自動車工場労働者のストライキ(1937年;ミシガン州フリント)
〔画像出典:Wikipeda File:Flint Sit-Down Strike window.jpg〕

 つまり、日本以上にアメリカの工場労働者は年功序列制の下にあり、そしてその工場がつぶれない限りにおいては、実質的に終身雇用です。しかも年齢差別を禁ずる法律により、70歳未満の定年を設けることも禁じられています。労働者は、自分の引退生活の計画や、或いは健康状態によって自己都合で辞めるのが原則です。

 第4に、ホワイトカラーの雇用は、企業業績の影響を工場労働者以上に受けません。製品の売り上げが減ったからと言って、販売促進事務や経理事務が大きく減ることはないからです。そのため、アメリカのホワイトカラーは、情報産業革命が起こるまで、つまり1970年代半ばまでは終身雇用が原則でした。生涯同じ会社に勤めて、自己都合で退職を決め、会社から記念の金時計をもらって幸福な退職をするというのが、アメリカの典型的なサラリーマンの退職の光景でした(画像はここ)。

2017年1月4日初アップ 20〇〇年〇月〇日最新更新
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