小塩丙九郎の
歴史・経済データバンク

10. 終身雇用を棄てたアメリカ労働市


この章のポイント
  1. ベンチャーには、迅速に時代の変化に対応できる柔軟な企業構造が必要。

  2. ベンチャーには、終身雇用制は邪魔になる。

  3. アメリカのホワイトカラーは、1960年代まで実質的に終身雇用だったし、ブルーカラーも実質的に終身雇用で年功序列制の下にある。

  4. 1970年代半ば以降のベンチャーの勃興が、既存企業に企業構造改革を強いることになり、ホワイトカラーの終身雇用制はなくなった。

  5. 公務員と大学教授の一部は終身雇用されているが、日本の制度とは随分と違う。

  6. アメリカの工場労働者は元々短期雇用であったが、第2次大戦中の超労働ひっぱく状態の下で、雇用を保護するセニオリティ・システムが生まれ た。


(1) ベンチャーには終身雇用制は邪魔

 アメリカ第3の産業革命を行う中で、アメリカには新しい形をもったベンチャーが生まれ、そして既存企業もそれに倣うように企業構造を変えていきました。企業が“restructuring”を行い、柔軟かつスピーディに企業の形を変えられるようにしたのです(“restructuring”についての説明はここ)。そのことは当然のこととして、雇用の形、そして労働市場の形をも大きく変えました。それまでのホワイトカラーの終身雇用制が崩れ、労働市場は大きく流動化したのです。

 世界市場の最先端を走り続けようとすれば、同じ製品をつくり続けたとしても、技術開発のあり様によって必要な技術分野はどんどん違ってきます。その典型的な例としては、化学薬品からバイオ薬品に重心が大きく移動した医薬産業が挙げられます(詳しくはここ)。そして、先端的製品の特徴は、単一技術でなく、広範なハード及びソフトの技術を必要とし、それらを有効に組み立てて、より高い水準の製品を完成する必要が出てくることです。

 スマートホンの例を使えば、電話機能からメール機能までの拡大は日本のNTTが世界に先行して実現していますが、さらにインターネットや音楽配信の分野に到るまでの総合的情報端末機として発展させたのは、アップルでした(iPhone)。NTTには、機械を高度化する技術者はいても、それをユーザーニーズに応える創造的な情報機器に変えることを企画できる技術者やプランナーはいなかったということです。

 また、音楽端末配信機(ウォークマン)で先行したソニーは、自社グループブランドのCBSレコード(後にソニー・ミュージックエンタテイメントに改称)の音楽だけを配信しようとしたのに対して、アップルはソフトの提供を世界中のメーカーや音楽事業者にまで募り、それを一つの端末でユーザーに提供できる仕組みをつくりあげています。そうして、世界中に大量のユーザーを獲得しました。ソニーは世界のレコード市場を変えるというスティーブ・ジョブズに、企画の雄大さで負けたということでしょう。

iPod(左)とウォークマン(右)
〔画像出典:Wikipeda File:IPod classic 6G 80GB packaging-2007-09-22.jpg (iPod;著作権者 http://flickr.com/people/e29616/ )、File:Sony Walkman Bean Plugged To Computer.jpg (ウォークマン;著作権者 Camilo Sanchez )〕

 既存の通信事業者、電気メーカー、或いはレコードメーカーの枠に捕えられていた技術者やプランナーは、いくら優秀でも革新性は持てなかったということです。そこに市場に新規参入するベンチャーの意味があります。“カイゼン”の積み重ねは、 “革新”には繋がりません。プラスワンではなく、アイデアの跳躍が必要なのです。だから、ベンチャーが生まれない日本では、技術革新はほとんど起こらないのです(そのことについては別の章〈第17章 『バブル崩壊の背後にあるもの』;〔ここ〕で詳述します)。

 そこで、“restructuring”の持つ企業スリム化機能が、見事に効果的に働いています。日本人経営者や日本人経済専門家が、“リストラ”や“リストラクチャリング”について、“縮小”のイメージを大きく持っているのに対して、アメリカで言う“restructuring”は、文字通り企業構造をまったく別の新たなものにつくり変えることです。くどい説明になりますが、“restructuring”を日本語に直訳すると、「企業構造組み立ての(白紙からの)やり直し」ということになります。


 ベンチャーや、或いはベンチャーに倣って“restructuring”した企業は、スリム化する過程の中で製品各部を市場から求める(いわゆる“アウトソーシング”)と同時に、企業に残した人材についても、常にその時々の最先端の有能な人材を求めるのです。最先端の製品(モノやサービス)が日進月歩する現代では、企業が要求する最善の人材が、昨日まで自社にいた者であるとは限りません。日本が得意とする自動車産業に典型的に見る“摺〈す〉り合せ型”製造を行うには、同じ企業に長年勤務して、その企業固有の生産工程に習熟した技術者や工場労働者が好ましいのですが(もっとも、工場労働者の企業間の移動は経済学者が言うほど難しいものではないと主張する労働経済学者もいます)、先端製品についてはその理屈が通用しません。

 大切な技術分野と技術水準の変化が激しいので、常にどのようなものについても賄える厖大な人的資源庫を企業内に抱えておくゆとりはどの企業にもありませんし、特に野心的な技術開発や経営に興味のある先端的な人材は、比較的低い報酬で、比較的固定的なポストに就くことを好まないハイリスク・ハイリターン志向型人間であることが多いのです。このような人材を得ようとすれば、終身雇用制という雇用形態は邪魔になります。終身雇用された安定志向の技術者たちの中からは技術革新はほとんど産まれないのと同時に、外から新たな人材を迎えて大きな権限を与えることにも既存の人材が抵抗するからです。

スティーブ・ジョブズ(左)とビル・ゲイツ(右)
(2007年“All Things Digital会議”)
〔画像出典:Wikipeda File:Steve Jobs and Bill Gates (522695099).jpg (著作権者 Joi Ito from Inbamura, Japan)〕

 そこで、“restructuring”を多くの企業が行った1980年代以来、アメリカの終身雇用制と言ってもいいほどのホワイトカラーについての長期雇用の慣行は、大幅に減りました。

2017年1月4日初アップ 20〇〇年〇月〇日最新更新
©一部転載の時は、「『小塩丙九郎の歴史・経済データバンク』より転載」と記載ください。



end of the page