小塩丙九郎の
歴史・経済データバンク

10. 終身雇用を棄てたアメリカ労働市場


(3) アメリカの終身雇用の歴史

 情報革命に到るまでのアメリカでは、企業について献身的なホワイトカラーを長年にわたって安定的に雇用することは、企業にとっても有益であると考えられてきました。新たに雇用したホワイトカラーの労働能力は、日本のそれに比べて予めそれほど明快であったわけではありません。19世紀のアメリカでは、日本ほどにも学校教育制度は全国均一に普及されていたとは言えず、学歴が個人の能力をそれほど明確に表してはいませんでしたし、移民については、さらに不明瞭でした。

 企業は新規に雇用した労働者を数年間以上にわたって雇い続けることによって、初めてその雇用者の能力を評価できました。そして、その能力評価に応じて、雇用者の配属や昇進を決めたのです。余程の反抗的態度がない限り、その雇用者の示した能力が期待ほどではなかったにしても、経営者はその雇用者を解雇することはなく、重要でない、そして賃金も高くない、ポストにその雇用者を充てることによって、企業としての労働者管理の効率性を実現していました。

1903年のアメリカの事務所風景(左下に見えるのは伝声管)
〔画像出典:Wikipeda File:Office speaking tubes 1903.jpg〕

 つまり、19世紀の頃からアメリカのホワイトカラーは、頻繁に解雇されることはなかったのです。といって、これは、雇用主と雇用者の間の正式の雇用契約に現れているものでなく、あるいは、経営者と労働組合の間に交わされた労働協定によって保護されていたものでもありません。そもそも、19世紀のアメリカ企業のホワイトカラーの労働組合組織率は、20世紀のそれに比べてそれほど高いわけでもありませんでした。契約ではなく、自然発生的に生まれた雇用関係であったわけです。そして、このホワイトカラーを長期にわたって雇用するという慣行は、20世紀にも引き継がれ、そして情報産業革命が起きる1970年代半ばまで生きていました。

 第2次世界大戦が終わって、経済が安定的に発展していた1950年代から1970年代にかけて多くの労働者にとって、一生1つの企業に勤務し続けた上、引退する年齢に達すると、長年の勤務を表彰する「金時計」を会社から貰って豊かな引退生活に入ると言うのが、多くのアメリカ人にとって“典型的な”考え方とされました(画像はここ)。このことは、多くの図書で証言されていますし、アメリカの有力な雇用者福祉研究機関(従業員給付研究所:1978年設立)の年次報告書にも、はっきりとそう書かれています(ここ)。


 1960年代に日本の家庭で見られたアメリカの豊かな生活を表す「パパは何でも知っている」(アメリカでは1949年から1960年まで、日本では1958年から1964年まで放映された)などのテレビドラマは、そのような時代のそのようなアメリカ人の生活感覚を表したものでした。家族が愛するパパは、ボス(社長)から始終怒られはするし、首にするぞと脅かされはしますが、ボスの自宅にも招かれて、家族ぐるみの付き合いをしています。日々解雇の可能性に緊張を強いられるという職場環境にはありませんでした。

 このような、長期雇用慣行を持つアメリカ企業は大企業を中心に多かったのですが、コダックやIBMといった企業は、特に企業と雇用者の関係を大切にすることで有名であり、これらの企業の経営方法は、「家族型経営」と呼ばれました。そして、IBMは、“I’ve been moved.”(「僕、転勤させられちゃった」)の頭文字だと言われたとは有名な話です(この章のタイトル画面参照)。IBMでは、企業より転勤が命じられることが多く(転勤により昇進した)、そして単身赴任も珍しくなかったからです。

 これらの大企業のホワイトカラーの雇用形態は、同じ時期の日本の大企業のホワイトカラーの雇用形態と変わるところはほとんどありません。そして、これらの家族型経営を採るアメリカの大企業は、ホワイトカラーのみならず、ブルーカラーについても長期雇用を原則とする労務管理を行っていたのです。しかし、IBMも、1970年代半ばに起こった情報産業革命により、アップルやインテルといったベンチャーに伍していくことができなくなり、遂にはその伝統的雇用形態を放棄するに至ったのです。

IBMはアップルとの競争についていけず、企業構造改革し、その一環で終身雇用制を棄てた。

 IBMの労務管理方針の大転換が、アメリカの雇用形態の変化を象徴しています。そしてIBM以外のアメリカの大企業でも、一斉に長期雇用形態(実質的な終身雇用)の放棄が行われました。そして、IBMほどの家族型経営を行っていなかった、他の大企業にも、当然、同様の変化が起こったのです。

2017年1月4日初アップ 20〇〇年〇月〇日最新更新
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