小塩丙九郎の
歴史・経済データバンク

11. 停滞から崩壊に至った徳川幕府経済


〔3〕大商家の変貌

(2) 終身雇用制ではない丁稚制度

 それでは、実質的に三井を経営した支配人たちはどのように雇用され、或いは育ったのでしょうか? 現代日本の大企業の終身雇用制は江戸時代の丁稚制度に発するという説明をする歴史学者や経済学者が多くいますが、それはまったくの間違いです。そのことを説明してみたいと思います。

 再び江戸時代最大の商家である三井家(越後屋)の雇用形態を例にとって見てみましょう。17世紀末から18世紀初頭にかけての35年間の間に三井に子ども時代に雇用された239人のうち、幹部に上り詰めた者は5パーセント、円満退職して三井グループ(一家)の中で開店した者は13パーセントで、終身三井グループで勤務を終えた者は2割にも満たない18パーセントしかいません(下のグラフを参照ください)。

三井家の終身雇用
出典: 作道太郎著『江戸時代の商家経営』(宮本又次編『日本経営史講座第1巻―江戸時代の企業者活動』〈1977年〉蔵)の記述データを素に作成

 さらにこれに自己都合で依願退職した者(12パーセント)と在職中に死亡した者(8パーセント)を加えて、三井家と円満な関係で退職した者を加えても、全体の3分の1(33パーセント)にしかなりません。そしてこれとほぼ同数の主家の都合による途中解雇者が3分の1(32パーセント)います。そして残りの3分の1の者については、記録が残されていないので、恐らく幸福な形での退職ではなかったのであろうと思われます。また、18世紀前半の享保期までは年功序列でしたが、それ以降は、幹部従業員については業績主義に切り替えられています。また、住み込みでなく通勤が許される幹部の定年は50歳から55歳であり、勿論再雇用というものはありません。

 35年で239人の雇用は、毎年平均7人弱と言う人数であり、この同期の新入者を京都本店と江戸店でそれぞれ雇われているので、1店当たり毎年精々3人の新規採用と言うことになります。或いは大坂店を勘定に入れると、1店当たり同期は2人しかいません。つまり、彼等は12、3歳の頃より才能を見込まれて幹部候補生として雇われた者であるのですが、それでも、三井の店に最後まで残れるのは5パーセント、そして三井グループ(一家)の中に留まれる者はその他に13パーセントしかいないエリート中のエリートということになります。そして、店を動かすには当然それでは到底足りない大人数が要るのであり、それらは女性や成人してから雇われる男性で、夫々下女、下男と呼ばれる下働きであり、日雇いか季節雇用などの非固定的な待遇となります。現代で言えば、非正規雇用者に当たるといえるでしょうか?

 要するに、幹部候補生として雇われた者の一部しか生涯を三井一家で終えることができず、残れる者は年功序列ではなく成績主義による厳しい生き残り競争の中での昇進であり、それ以外の非熟練労働者として雇われた大勢の者には、雇用の保証はありませんでした。三井は京・大坂・江戸3都の店は独立採算制、そして三井に次ぐ最大商家の鴻池は大坂本家の集中管理と2つの大商家の経営・組織形態は大きく違いますが、上に述べた丁稚の生涯での処遇についてはおおよそ変わるところがありません。鴻池の場合でも、途中解雇者が多いのです。他の大商家も同様であったことでしょう。

2017年1月4日初アップ 20〇〇年〇月〇日最新更新
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