小塩丙九郎の
歴史・経済データバンク

1-日本の若者が今置かれている状況


〔5〕 問題は、発展の基盤−自由−がないこと

(2) 日本社会発展の基礎的条件−2つの自由

 アメリカは、1980年代半ば以降安定的に年率2パーセントの経済成長を続けている、一方日本は経済停滞、或いは後退をし続けている、という状況があることは確認できました。それではいったい、この2つの国にはどのような違いがあるのでしょうか? それをはっきりとさせて、日本はアメリカに倣〈なら〉うことがあるのか?ということを追求することが、このデータバンクの究極の目的とするところです。そしてその知識を素に、若い皆さんが日本の未来を築く行動に参加、或いは加担することとなることを小塩丙九郎は強く望んでいます。

自由の女神
〔画像出典:Wikipedia File:Statue of Liberty 7.jpg〕

 小塩丙九郎の得た結論を先に言うと、それは“自由”です。アメリカには大いなる自由はあるが、日本にはわずかしかない、それが私の答えです。今ここで直ちに若い皆さんの同意を得ることができるとは考えていませんが、このデータバンクとのかかわりを深めるうちに、同じような観念に至ることを希望しています。

 それでは、ここでいう自由とは一体どんな自由のことなのか? それは、政治的自由と経済的自由の2つです。政治的自由とは、思想と言論と行動の自由が保障されていることです。そして経済的な自由とは、経済市場でのあらゆる取引を行う自由が保障されていることです。経済的自由は、国の経済を成長させることを可能とし、それはその国の社会に様々に生ずる問題を解決するために必要な政策を実行するために必要な経済的資源、つまりお金、を獲得するために欠かせません。

 経済成長なしでも、国民が互いに理解し合って、互いに寄り添って行けば競争で疲れ果てない精神的に豊かな社会を築くことができると主張する有識者と呼ばれる人が多くいます。しかし小塩丙九郎は、その主張にまったく同意できません。経済が停滞すると、それでもより豊かな生活を得たいと思う人はなかなか少なくならないので、限られたパイの奪い合いが始まります。そしてそれは国民の勝ち組と呼ばれる一部をより豊かにし、そしてそうでない負け組と呼ばれる人たちをより貧しくします。そして所得格差は拡大し続けます。

 1990年代以降、停滞し或いは後退する経済の中で、日本国民は一様に貧しくなったのではなく、上位10パーセントの者がより豊かになり、その他の者がより貧しくなった、そのことを表す日本の所得格差の統計を既に提出しました(ここ)。世界史の中で、経済停滞がその国の国民の精神的豊かさをもたらした例は一つもありません。経済成長がない江戸時代に、人はより豊かな心をもっていたと主張する歴史学者や有識者と呼ばれる人たちがいますが、前期江戸時代は大経済成長の時代で人々は活気に満ちていたのですが、後期江戸時代には経済成長がなくなり、幕府官僚の締め付けは次第に強くなり、そして自由を失った市場は遂に破綻しました。アメリカからペリーがやってきた10年以上も前にです(その様子は別の章〈ここ〉に詳しく解説しています)。

 勢いよく回転する駒は、ずっと安定して立ち続けることができますが、回転が緩やかになった途端、あっと声を出す間もなく倒れてしまいます。国の経済社会もそれと同じです。成長する経済では、出来する新たな問題に対処する新たな財源が常に供給されるので、新たな問題をそれを使って解決しつつ社会の安定を保つことができるのです。そうでなければ、新たな問題を解決するためには、誰かの所得や富を奪わなければなりません。そのことは、社会の諸所に不満を発生させ、そして安定を失います。

 だから、経済的成長は、政治的自由に劣らず大切です。そして経済成長は、自由な市場がないと長期間続けることはできません。つまり、経済的自由が政治的自由と同様に必要なのです。市場の自由が経済成長に必要だという点について、若い皆さんはまだ合点がいかないかもしれません。それを納得するためには、日本と世界の歴史を学び、そして現在の日本が置かれている状態を正しく世界的視点をもちながら理解することが必要です。そしてこのデータバンクは、その基礎となる広範囲で詳細な情報を提供できるように設計され、作成されています。

 最後に、政治的自由が今の日本の若い皆さんに与えられているのかという点について、少しだけ議論しておきたいと思います。

 政治的自由とは、好きな思想をもつこと、好きな発言を行うこと、他人に強制されることなく好きな候補者に投票できることを言います。そしてそれを可能とする自由な思考を行うためには、必要な情報が、特定の偏った思想をもった人が加工したものではない、できるだけ客観的な形で入手できる状態にあることが必要です。しかしながら、今の日本は、そのような状況にはありません。GDPや円/ドル為替レートというような基本的な数値についてすら、特定の思想をもった官僚、政治家や経済学者たちが加工した、現実を正確に表したものでないものが、一般の日本国民に届けられているということは、既に明らかにしました(例えばここ)。そしてそのようなことは、過去について、或いは現代について、非常に多くの場所で、非常に頻繁に行われています。

 このデータバンクは、そのような加工された情報に対して、より客観的で科学的なものを提供するよう設計、運用されています。もちろん、どちらがより適切な情報かを判断するのは、若い皆さん自身ですが、少なくともこのデータバンクは、既存の情報を吟味して自分で判断できる手段を提供していることは確かです。

 そうして、お仕着せでない、自分自身が正しいと自信をもって判断できる情報が得られれば、より正しい思考を行い、そしてより進化した思想をもつことができるでしょう。そうすれば、官僚や、政治家や、或いは学者や有識者からの口移しでない、自分自身の意見をもち、若い皆さんが生きがいをもって暮らせる日本は一体どうしたらつくれるのかを考え、投票し、或いは必要な行動をとることができるようになると思います。それが、小塩丙九郎が考える政治的自由です。

 以下、自由ということについて、世界史の観点から理解を深めていきたいと思います。  

2017年1月4日初アップ 20○○年○月○日最新更新
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