小塩丙九郎の
歴史・経済データバンク

1-日本の若者が今置かれている状況


〔5〕 問題は、発展の基盤−自由−がないこと

(3) 世界が初めて得た政治的自由

 世界で一番最初に、人民の自由を獲得したのは17世紀半ばのイングランド人(未だ、イギリスという国は生まれていませんでした)で、それは世界で初の市民革命を成功させることによって得られたものです(詳しくは、ここ)。

 その時、人々にとって“自由である”とは、国王や教会の神父に自分たちの未来を決められることはないということでした。或いは日常生活においても、社会を支配している大きな権力組織に自分たちの人生について指図されたくはないということです。“自由”とは、“未来の自由”と“現在の自由”の両方を含んでいました。

 そして、なぜ人民に自由であることについての権利があるのかといえば、それは神の前ですべての人は平等だとキリスト(新教)の教義で定められているからということでした。

 その今では当たり前に聞こえるようなことは、それからおよそ100年前の16世紀半ばまでは、誰ひとりとして考えてもいないことでした。日本でいえば、戦国時代まではイングランドではそうだったということです。世界で一番偉いのは、神の言葉を聴かせてくれる教会の神父であり、その次にキリスト教会のトップであるローマ教皇からその統治の権威を認められた国王たちでした。

 ただ一人の例外といえば、16世紀半ばに、キリスト教(旧教)が自分の離婚を認めてくれないからと言って、ローマ教皇とけんか別れして国教会を独自につくったイングランド国王(ヘンリー8世;1491-1547年)だけでした。そしてそのことは、恐らくイングランドで史上最初に市民革命が起こった背景になっているんだろうと思います。教皇に認められない国王は信頼するに足りないと考えた人が多かっただろうからです。

 ともかく、キリスト教の教会と修道院が最も大きな権威をもっていました。それは、神父や修道士たちが、人々の死後の世界での安寧を左右する権力をもっていたからです。人々は、死後の世界に天国と地獄があると信じ、また遠い未来には世界の終末が訪れ、その時に最後の審判を受けて、神の国に行ける者とそうでない者に仕分けられると信じられていました。そして、神父や修道士のいうことを聴かなければ、人々は決して天国や神の国に入れられることはないと信じられていました。

 けれども、16世紀に現れた2人の神学者が、「人は神父や修道士を通さないで直接神に祈りを捧げることはできる」と言い出したのです。そして最初の神学者、マルチン・ルター(1483-1546年)、は、「一生懸命に祈れば、必ず救済される」と説きました。だとすれば、教会や修道士のいうことは聴かなくてもいいということになるし、ローマ教皇に権威を認められている国王たちのいうことを有り難く聴いている必要もなくなってきます。それが、17世紀のヨーロッパに初めて現れた“自由”、そして人民の“平等”という考えの発端です。

 こうして改められたキリスト教の教義をキリスト新教と言っています。そして改められる前の教義を旧教と呼ぶことが始まりました。あるいは、旧教をカトリック、そして新教をプロテスタントと呼ぶことは、今では一般的です。

 これで人々は政治的に自由になったのですが、これではまだ経済的に自由ではありませんでした。当時大きな都市は、国王から封建領主並みの自治権を認められた自治都市であることが多かったのですが、その自治は市民全員が参加して治められていたわけではなく、富裕な商人たちの合議で物事が決められ、実行されていました。そして富裕な商人たちから税を得た自治都市は兵を雇い、軍事力でも封建領主や国王に対峙する力を得ていました。

 その富裕な商人たちの力の源は、ギルドでした。ギルドとは、同種の産業に携わる商人と職人を束ねる組織で、すべての商人と職人はそこで定められているルールに従って商売や仕事をしなくてはなりませんでした。商品の規格、品質、価格や、あるいは職人の賃金などが定められていました。クラフトギルドという言い方もありますが、これは職人が中心となった組織を意味するのではなく、単に流通のみならず生産も併せて支配していた組織であるからそう呼ばれているのであり、組織を動かしているのは富裕な商人たちでした。価格を自分たちで自由に決められるのですから、当然商売をすれば一定の利益が必ず得られることになります。こうして富を蓄えた富裕な商人たちはますます豊かになり、ギルドの力もますます強くなるという仕掛けです。

 中世ヨーロッパでは、商売して利益を稼ぐことは、神の意に背く賤しい行為だと考えられていました。それは古今東西、宗教というものが現れたところでは、共通した考えでした。農夫や職人のように汗をかいてモノをつくることをせず、人から人にモノを手渡すだけで利益を要求するのは性悪者のすることだというわけです。この背後には、お金をもって権力に迫ろうとする商人たちを、働かない貴族たちが抑え込んでおくために、貴族と教会がグルになって社会の支配を図ったということがあります。

 それでは、貴族と教会と比べれば、一体どちらが強かったのか? これはなかなか答えを出すのが難しい質問です。例えば古代ローマについて言えば、最初は貴族が強かったのですが、そのうち奴隷の宗教であったはずのキリスト教が徐々に人々の心を奪い、遂にはキリスト教が国教となり、さらには教会の長であるローマ教皇が国王にまさる権力を得ることとなりました。そして教皇の信任を得ない国王は、国を統治できない状勢にまでなってしまいました。古代ローマが分裂してヨーロッパに国王が割拠したとき、そもそも時代を超えて地域を支え続けたのは、キリスト教の教会であったからです。それが、ヨーロッパの古代から中世にかけての歴史です。  

2017年1月4日初アップ 20○○年○月○日最新更新
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