小塩丙九郎の
歴史・経済データバンク

1-日本の若者が今置かれている状況


〔5〕 問題は、発展の基盤−自由−がないこと

(4) 世界が初めて得た経済的自由

 キリスト教の教えでは、商行為は賤しいものとされたのですが、しかし、ギルドをつくって粗悪でない品質のモノを公正な価格で提供するということを人々に保証するということによって、商人の性悪さがなくせるということを商人たち、特に有力な商人たち、は言い始めました。そして富裕な商人から多額の寄進を受けていた教会は、その主張を認めました。

 しかし、政治的な自由については明確な主張を行ったルターの興したキリスト新教の教義では、ギルドのことについて何も言いませんでした。だから、ルターの考えを受け容れた人たち、ルター派、の多い神聖ローマ帝国(現在のドイツ)では、ギルドの仕組みはなくなりませんでした。つまり、そこでは政治的な自由は主張されたのですが、経済的な自由は生まれなかったのです。ギルドの仕組みの中の一つにマイスター制度というのがありますが、ドイツでその制度が完全に廃止されたのは、21世紀に入ってからのことです(ドイツの部分的労働市場自由化策であるアジェンダ2010による)。

 ルターから四半世紀ほどたってから自由都市ジュネーブに現れたもう一人のフランス人神学者、ジャン・カルヴァン(1509-64年)、は、ルターの教義は不十分だと考えました。そしてルターは、「人は祈ることによって救われるということはない」、なぜなら「救われる人は予め神が決めている」のであると言ったのです。

 「神の叡智は人が思い知れるほどのものではなく、はるかなる高みにある。神は神の考えによりすべてのことを計画されているのであり、人はその計画に沿って生きているのだ」とルターは言いました。それで、このルターの興したキリスト新教の教義のことを「予定説」といいます。これに対して、ルターの教義は、「信仰義認説」と言います。神をよく信仰すれば、神に認められるという意味です。

カルヴァンと経済的自由
〔画像出典:Wikipedia File:John Calvin by Holbein. 〕

 それでは、カルヴァンの興したキリスト新教が、どうして経済の自由を産むことになったのでしょうか?

 カルヴァンは、人が商売して利益を稼ぐことができたとしたら、それはその人が他の多くの人々が求める商品を最も上手に提供できた証拠なのであるから、それはまことに善いことで、神はそれを祝福されると説いたのです。そしてより高い利益率を得ることができた人は、他の人より多くの人が求める商品をより上手に提供できたのだから、それはますます善いことだと言ったのです。こうして、利潤を求める行為が初めて積極的に神が喜ぶ善い行為に昇華したのです。

 もっとも、そうして得た利益は神の御心に沿った行為が産んだ結果なのですから、それはその個人に帰するものでなく、地域社会全体の財産なのだとカルヴァンは言いました。利益が蓄積してできた資本は、再投資の資源とするか、困難な状況にある同胞を救う慈善行為の資源としなければならないというのが、カルヴァンの教えです。だから人は懸命に働いて、しかも倹約して質素な生活に留め、資本を蓄えたらさらに事業を拡大し、あるいは慈善を行えと言ったのです。

 このようにして行われる神の喜ばれる行為を、他の人が規制することは神の意に反することとなります。ギルドが商売の公正さを保障しなくても、自由な市場が高く評価した商売人は、神が喜ばれるもっとも善いことをしたことが証明されたこととなりました。そもそも、すべての人は神の前で平等です。誰か力ある人が、他人の行為を規制し、指導し、あるいは強制する言うことに道理があるわけはありません。これで、市場の規制に意味はなくなり、経済の自由は、カルヴァンの打ち立てたキリスト新教、カルヴァニズム、でのもう一つの重要な自由のあり方となったのです。  

 こうして、16世紀のヨーロッパで政治の自由と経済の自由の2つを社会の基本原理とすべきだというキリスト新教が誕生し、そしてその理念を受け容れたイングランドのブルジョワたちが17世紀に市民革命を成し遂げたことによって、世界で初めて国民の政治的自由と経済的自由の双方を認める政府ができたのです。このように、カルヴァニズムを受け容れたイングランドでは、政治的自由と経済的自由はまったく一体となった、ともに不可欠の社会構造の原理となりました。

 このキリスト新教の教義を源とした2つの自由、政治的自由と経済的自由、という考え方は、今のアメリカという国に最も色濃く引き継がれています。その次にこれに忠実な国は、イギリスです。後発のアメリカの方がその色を濃く持っているのは、イギリスでは中世の古い考えをもった人が完全にはいなくならなかったのに対し、アメリカはイングランド国王に迫害されたキリスト新教徒(1620年にメイフラワー号で亡命したピューリタン)の子孫が、その信仰を実現するために、イギリスと独立戦争を戦って建設した(1776年)国であるからです。

 一方、宗教改革をルターの教義に従って行ったドイツは、まだギルドによる市場の管理という考え方から完全には抜け出ることができてはいません。そして、イギリスと対抗するために1世紀遅れて市民革命することに至ったフランスは、宗教改革を行わずにキリスト旧教、カトリック、のままでいるために、経済の自由は不十分で、政治の自由も、強い権力をもつ中央政府の官僚によって支配される不十分な状態にあります。フランスと似た歴史をもったギリシャやスペインといった南ヨーロッパの国々も、似た状況にあります。

 少なくとも、世界で最初に人民の自由ということを考え手に入れた人たち、そしてその考えを現代にまで最も忠実に受け継いでいる人たちにとって、経済的自由とは、政治的自由とは切り離せない、生きるということの意味をもつために最も大切な信条となっているのです。いや現代人はもはや宗教などと言った科学的でも合理的でもない考えからは解放されている、と日本の多くの若者は思うかもしれません。しかし決してそうでないことは、例えばアメリカ大統領は神への宣誓を行って初めてその座に就けることによっても表れています。

2017年1月4日初アップ 20○○年○月○日最新更新
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