小塩丙九郎の
歴史・経済データバンク

9. アメリカが続ける第3の産業革命


〔1〕情報産業の誕生に向けて

(5) 柔軟な人事と組織構造

 このようにして、アメリカの最も優秀な技術者たちも航空宇宙産業へと移行しました。ロケットと航空機を製造する企業(ロッキード、ダグラスやグラマンなど)の他にNASAに大勢の研究技術者が集められ、最盛期の1966年の科学者と技術者(scientists and engineers)の数は、職員3万5,680人、その他外部契約者は推計36万人であったとNASAのホームページは記載しています。

 ロケットエンジンなどのハード技術開発とともに、小型コンピュータとインターネットなどの通信技術及びシステム工学とコンピュータ・ソフトウェアが最重要技術として開発されました。プロジェクトの成功が最優先された結果、研究技術者にはその研究開発能力のみが問われて、性別、年齢、経験年数は不問にされました。例えば、アポロの月着陸船(イーグル)コントロール専用コンピュータの開発責任者は、20歳台の女性(マーガレット・ハミルトン)でした。

マーガレット・ハミルトン
〔画像出典:Wikipeda File:Margaret Hamilton in action.jpg〕

 アポロ計画では、ロケット製造技術、コンピュータ技術、ハード及びソフトの情報産業技術だけが開発されたわけではありません。40万人のスタッフを抱えたNASAは、打ち上げロケット開発グループ(マーシャル宇宙飛行センター)、宇宙船開発グループ(有人宇宙センター)、打ち上げ管制システム開発グループ(打ち上げ運用センター)の3つのグループ、そしてまたそのグループ内の作業グループが幾層にも縦割りになる巨大な組織の形を構成していました。

 しかしそれら組織間のコミュニケーションが働かず、1960年代以内に人が月に行き、そして帰るという目標は到底達成できない状況に陥ったことがあります。そのとき連邦政府は、1人の有能なリーダー(ジョージ・ミュ-ラー)をNASA副長官に任命して、個別組織間のコミュニケーションを活性化させ、結局はケネディの約束を実現させました。

アメリカノ先端技術開発を主なう巨大組織でも、年功序列や学閥は否定されていた。

柔軟な機動的組織が情報産業技術を革新した。

 この過程で、マーシャル宇宙センターの所長を務めていたサターンXロケット開発責任者のヴェルナー・フォン・ブラウンの様なカリスマでさえ実現できなかったすべての関連部署を有機的に統合し、超巨大組織を効果的に機能させるという仕組みをつくりあげています。或いは、先ほど紹介したように、20代の若い女性研究者に管制ソフトをつくる全権を与えるという、能力優先の柔軟な人事も行っています。

ブラウンとケネディとサターンX
ブラウン(左)とケネディ(右)
とサターンX型ロケット第1段のエンジン
〔画像出典:Wikipedia File:Kennedy with von Braun.jp(ブラウンとケネディ)、File:S-IC engines and Von Braun.jpg(サターン5型エンジン)

 ブラウンの偉大さは、カリスマと呼ばれるにふさわしい指導力を持っていたことよりも、むしろ、この過程で彼が示した素人(電子工学者)の指示を受けても論理的に正しいことは積極的に受け容れる(ロケットの開発をステップバイステップ方式からオールアップ方式〈全段一斉試験方式:all-up testing〉に転換することを認める)という度量の大きさにあるのかもしれません。そのような態度を示すカリスマがいて、アメリカのシステム主義は根付き、アメリカ産業の力強い基礎が築かれていったのです。年功序列と学閥を尊ぶ日本の産業技術界の世界とは、この点が決定的に違います。この時、巨大組織を有効にかつ効率的に動かすシステム工学は、飛躍的に発展しました。

アポロ計画で情報産業技術が大開発されていたとき、

日本の経済専門家は、産業技術開発に繋がるものは何もないと、事実を見損ない、

日本の決定的な出遅れを招いた。

 しかし、1960年代から1970年代にかけてアメリカの産業界の奥深いところで壮大な産業技術開発が行われ続けていたことについて日本の官僚も産業人も、さらに経済学者も無頓着で、その重大な意味に気がついていませんでした。1980年代になっても日本の産業技術開発の専門家は、アポロ計画は莫大な投資を消化したにもかかわらず、意義ある産業技術を何も生み出してはおらず、一方日本の優れた製造業についての産業技術はアメリカを圧倒し、そしてそれがアメリカに対する圧倒的な輸出超過という結果をもたらしていると解説し、貿易戦争に勝ち続けているという経済学者や企業経営者を含めた日本国民の陶酔感を醸成していたのです。

2017年1月4日初アップ 20〇〇年〇月〇日最新更新
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