小塩丙九郎の
歴史・経済データバンク

9. アメリカが続ける第3の産業革命


〔1〕情報産業の誕生に向けて

(3) 軍事産業技術は発展し続けた(後篇)

 核爆弾開発で先行したアメリカは、しかし、衛星射出ロケットと有人ロケットという2つの種類のロケットの何れについても、ソ連の後塵〈こうじん〉を拝することとなります。1957年、ソ連は人類初の人工衛星の射出に成功し、スプートニクと名付けられた機体が信号を世界中に届けました。1961年4月、ソ連は世界で初めて人間(ユーリイ・ガガーリン)を宇宙空間に送り、そして無事地球表面に回収することに成功しました。

 これら何れの試みについてもアメリカは屈辱にまみれることとなり、世界の覇権をアメリカが維持し続けられるのか、或いは資本主義体制の社会主義体制に対する優位は確保し続けられるのかは危ういものと感じられました。ソ連の宇宙産業技術での優越は、イコール社会主義の近代資本主義に対する優越さを証明するものであると感じる人が、日本を含む世界中に多く出ました。

1961年まで、宇宙産業技術でアメリカはソ連に負け続けた。

アメリカは産業技術開発の総力を航空宇宙産業技術と情報産業技術に集中した。

民生産業技術開発は、後送りにされた。

 危機感を持ったアメリカ大統領のジョン・ケネディは、ソ連の有人宇宙旅行成功の翌月の1961年5月に上下両議院合同会議で、「1960年代が終わる前に人間を月に着陸させ、地球に無事連れ戻す」という歴史に残る大演説を行いました。“アポロ計画”と命名された法外なプロジェクトを成功させるために、連邦国家予算の4パーセント以上が投じられ(最大4.41%:1966年)、電子工学、数学、或いはシステム工学などに関する有能な研究技術者が集められ、勿論機械技術者の最も有能な者が呼ばれました。

ケネディ大統領演説
上下院合同議会でのケネディ演説
〔画像出典:Wikipedia File:Kennedy Giving Historic Speech to Congress - GPN-2000-001658.jpg〕

 アメリカ連邦政府は第2次大戦が始まるとともに、2割未満であった連邦政府予算の中の軍事費の割合を最高9割まで上げていますが、太平洋戦争の終結ともに3割まで一旦減らしました。しかし東西陣営の直接対決として戦われた朝鮮戦争が始まると(1950年)、その割合は再び7割に上げられます。そして朝鮮戦争が終結するとともに、毎年着実に軍事予算の連邦政府予算総額に対する割合は引き下げられていきました。

 しかしケネディのアポロ計画が始まるとともに、軍事費を引き下げる予定であったはずの金額は、そのまま1958年に設立されたNASA(National Aeronautics and Space Administration: アメリカ航空宇宙局)にふり当てられ、アポロ11号が月着陸に成功するまで、軍事費とNASAのための歳出予算の合計額の連邦政府予算歳出総額に対する割合は5割という高い水準に保たれました(下のグラフを参照ください)。

出典:日本及びアメリカのアメリカ連邦政府予算とNASA予算に関するWikipedia掲載データを素に作成。

 つまり、戦争が終わって民生に向けられるべき余力が、宇宙技術開発に投じられたと理解することができます。その程度に、アメリカは宇宙技術開発に力を注いだということです。言いかえれば、1960年代のアメリカは、東西冷戦を勝ち抜くために、準戦時体制を維持したのです。

 日本が平和産業に全力を傾注していたときに、アメリカは大戦争を戦い続けていた、そして、アメリカの最も有能な頭脳と技術者は、この準戦時体制の維持と強化のために割かれた、そのことを強く認識しないと、戦後の世界経済を理解することはできません。

2017年1月4日初アップ 20〇〇年〇月〇日最新更新
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