小塩丙九郎の
歴史・経済データバンク

7. 世界初の産業革命―イギリス


〔1〕産業革命前夜

(3) 産業革命前夜の経済政策

 産業革命が始まるまでのイギリスでは、専ら保護主義的な経済政策がとられていました。

 15、16世紀の地理的発展時代以来、イギリスは商業的支配権を得ようとして、スペイン、ポルトガル、オランダと抗争を続け、やがてイングランドは、「商人国」(a nation of shop-keepers)と呼ばれるようになりました。そして18世紀前半に、武力と外交力でフランスを屈服させ(第2次英仏百年戦争)、一大植民国を建設し、世界中に市場を持ち、この市場拡張がイギリス製品に販路を保障して、国際産業に刺激を与えることとなりました。

 この頃の主要な輸出品は、羊毛製品と小麦ですが、このうち特に羊毛が重要でした。一方、主要な輸入品は、造船用木材、砂糖、奢侈品及び半奢侈品などでした。輸出入貿易の圧倒的多量はヨーロッパ大陸とのものであり、ことにフランスやオランダなどイギリスに最も近い諸国との間のものでした。

金兌換制の導入と交換比率の長期固定

ポンドが国際基軸通貨の地位を獲得

 1717年に、1694年に株式会社として設立されたイングランド銀行は、その後通貨発行権を独占し、国の銀行の役目を果たしたのですが、そのイングランド銀行の発行するポンド貨幣は金と定まった比率で交換されることを保証するという大きな政策が決定されました(金兌換〈だかん〉制)。なお、このとき、ポンドと金との兌換率を定めたのは、当時造幣局長であった、そして今では科学者として知られているアイザック・ニュートン(1642-1727年)でした。そしてこの交換比率は以降2世紀にもわたって固定されたままであったので、そのことはポンドの国際基軸通貨としての地位を安定させました。

ニュートン
ニュートンは、科学者であるだけではなかった。
〔画像出典:Wikipedia File:GodfreyKneller-IsaacNewton-1689.jpg〕 〕

2017年1月4日初アップ 20〇〇年〇月〇日最新更新
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