小塩丙九郎の
歴史・経済データバンク

5. 中世ヨーロッパの商人と産業革命


(4)イングランドの都市と工業の発展

 この農業生産性の向上は、新たな人口移動を産みました。農民の格差が広がって、富裕な農民はその資本を活かしたさらに土地集約を進めたのです。土地保有者(借地権者)の数は大幅に減り(下のグラフを参照ください)、大規模土地所有者のもつ農地が地域を圧倒してきました(さらに下のグラフを参照ください)。“囲い込み”は一般に牧畜用の土地を集約する時に使われる方法であると理解されていますが、実際にはむしろ穀物耕作地を集約するために多用さたれ手法であると歴史学者の常行敏夫は説明しています(常行著『市民革命前夜のイギリス社会』〈1990年〉より)。

土地所有者の推移
出典:E.A.Wrigley著“Population and History”(1981年)掲載図をベースに作成。

土地所有者の推移
出典:常行敏夫著『市民革命前夜のイギリス社会』(1990年)掲載データより作成。


 農業生産性が向上していたために、土地を失った零細農民の多くはその土地で賃金労働者として雇われることはなく、都市やその郊外部に流出して、一部は都市の貧民として没落したのでしたが、その他は都市や都市近郊に成長しつつあった商工業の労働力として収まりました。

 イングランドでは、大陸にある国(例えば神聖ローマ帝国〈現在のドイツを中心とした国〉)ほどには職人ギルドの統制力が強くなく、都市郊外部に発展した農村工業地帯に賃労働者の雇用機会が発生していました。そこで生産される様々な耐久消費財や高級な日用品の大きな需要を産んでいたのは、資本主義的経済の仕組みに乗っかって成長しつつあったジェントリとヨーマンたちでした。ここで、農業以外の商工業についても、資本主義的経済が急速に成長したのです。

 この人口移動は、16世紀末にさらに加速されました。当時のイングランドを、未曾有の不作と飢饉が襲ったのです。これは地球の寒冷化によるものと推測されます。紀元1000年をピークに、地球は温暖期にあったのですが、その後地球は寒冷化して小氷期と呼ばれる時代に入り(下のグラフを参照ください)、地球環境学者の示すデータでは16世紀末頃に気温が一番下がっています。また、ロンドンのテムズ川の凍結は16世紀末頃から頻繁に起こっていることが記録されています(さらに下のグラフを参照ください)。不作が1年で終われば、小農民は借金で凌げますが、不作が数年続いて翌年の作付けのための種籾を残しておくゆとりさえなくすと、破産せざるを得ません。そして農地(借地権)はヨーマンによって買い上げられ、小農民は都市やその郊外へ流出せざるを得なくなります。

小氷期
説明;細かで複雑に変化する複数のグラフは、個々の地球環境学者がそれぞれに描いたもの。
出典:IPC(気候変動に関する政府間パネル)の第4次評価報告書の図を加筆修正して東京大学大学院理学研究科の研究グループ(宮原ひろ子・横山裕典・増田公明)が作成したもの(http://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/press/2008/14.html)。

テムズ川凍結
出典:Wikipedia “River Thames Frost Fairs”掲載データを素に作成。

 こうして、14世紀半ば以降の人口減少期に続いて、15世紀の人口増加期にも農民人口の都市やその郊外への移動は激しく起こりました。農業の資本主義的経営とそれが産んだ余剰労働力を活用した工業の発展がさらに進みました。またこうして得られ、さらに蓄積された新興ブルジョワたちの資本は鉱工業にも投資されました。

 ペストの蔓延と地球の寒冷化に端を発する農地の集約化が、イギリスの資本主義的経済を発展させる契機となりました。けれども、自然環境の大変化という条件を等しく与えられたイギリス以外の中世ヨーロッパ諸国では、資本主義的経済が芽生えませんでした。

 例えば、ドイツ(神聖ローマ帝国)では、ギルドの統制力が強くて、都市経済が自由に発展することが妨げられたのであり、そしてフランスでは、イギリスよりはるかに絶対王制(高報酬を得て大きな忠誠心をもった官僚群に支えられた封建制度)が強力であり、農民の土地相続をより積極的に認めて社会の固定化を図ったために、貴族や農民の自由な土地集約が妨げられたのです。つまり、自由が制約されると、資本主義的経済は発生することも難しくなるのです。

土地取引が自由で、
ギルドの制約がないイングランド

経済が発展した。

土地取引を強く規制したフランスと
ギルドが強くて市場の自由を認めないドイツ
経済は停滞した。

 ちなみに、小氷期に入った日本でも飢饉が頻発し、そのために封建領主たちは家来や自領の農民を生き伸びさせるために、隣接した他領に侵入して食物を略奪することを始めました。それまで比較的穏やかであった日本の平和は乱れ、統率力が決して強くはなかった室町幕府治世下の世は戦国時代に入り、合戦と農地の開発と保全、つまり治水対策、に長けた封建領主が急速に成長していきます。

 そして小氷期に飢饉が頻発した東北日本の沈滞を克服できなかった徳川幕府は、やがて産業開発に成功していた西南日本雄藩に倒されることになります。

2017年1月4日初アップ 20○○年○月○日最新更新
©一部転載の時は、「『小塩丙九郎の歴史・経済データバンク』より転載」と記載ください。



end of the page