小塩丙九郎の
歴史・経済データバンク

5. 中世ヨーロッパの商人と産業革命


(2)大発展し、奈落に落ちた中世イングランド

イングランドの人口は、12世紀初頭から14世紀半ばまでに100万人から400万人へと急増していました(下のグラフを参照してください)。これは12世紀にヨーロッパ中で農業革命が進んだためです。そしてその農業革命を可能にしたのは“中世の産業革命”であると、フランスの歴史学者のジャン・ギャンペルはいうのです(ギャンペル著『中世の産業革命』〈日本語訳1978年、原典1977年〉より)。

イングランの人口
出典:E.A.Wrigley著“Population and History”(1981年)掲載図をベースに作成。

 11世紀から13世紀にかけて、ヨーロッパでは技術開発が急速に進みました。その最も重要なものは、鉄が大量生産されるようになったことです。改良された水車を利用して鞴〈ふいご〉を24時間動かせるようになったために、炉の温度を摂氏1,200度にまで高めることが可能になりました。これで馬にはかせる蹄鉄が大量につくれるようになりました。或いはそれを馬の足に固定する釘もできました。荒れ地や森林を開拓する犂〈すき〉の先端に鉄片を付けることもできました。そこで、改良したハーネス(馬具)で重くて丈夫な犂を曳かせると、馬の牽引力は古代ローマ時代に比べて5倍になり、そして新しい耕地をどんどん開拓できるようになりました。つまり、17世紀の日本で、広大な湿地を埋め立てて急激に水田面積を拡大できたのと同様に、12、3世紀のイングランドの耕地面積も急速に増やすことができたのです。

 
5倍の馬力

犂を引く馬
〔画像出典:File:Anglo-Saxon ploughmen.png 〕

 さらに、同じ時期に農業技術も開発されて、三甫〈さんぽ〉農法が普及しました。小麦などの穀物と、牧草とを1年ずつ栽培して、3年目には地力を回復するために休耕するというサイクルを守って、農地を荒れさせることなく高い生産性を維持するという智恵です。つまり、農地面積が急拡大した上に、農業生産性が大幅に向上しました。このことが、イングランドの人口を2世紀の間に4倍に増やすことを可能としたのです。

 社会が大発展する裏には、必ずと言っていいほど、技術革新があります。しかし、多くの歴史学者や経済学者は、そのことには重大な関心を払わないのです。しかしこのデータバンクでは、技術革新、あるいはそれが連続して長期にわたって続く産業革命ということを重要視しています。

 しかしせっかくそうやって増やした人口は、14世紀半ば(1348年)にペスト(黒死病)が全土に伝染すると、半分以下に落ち込んで、200万人を割ってしまいました。生殖能力を傷つけられたイングランドの人口は、その後さらに1世紀にわたって緩やかに減り続けました。そして、そのことがイングランドの社会を変えました。

2017年1月4日初アップ 20○○年○月○日最新更新
©一部転載の時は、「『小塩丙九郎の歴史・経済データバンク』より転載」と記載ください。



end of the page