小塩丙九郎の
歴史・経済データバンク

19. 日本の経済倫理の発展と挫折


〔1〕日本の商人が示した慈善の精神

(9) 北前船廻船問屋の壮大な救民活動(後編)

 浄土真宗に深く帰依した別の地域としては近江地方がありますが、近江商人が唱えた“三方よし”、つまり、売り手と買い手と世間〈地域〉の三方に同時に益をもたらすことが商売の基本であるとされ、現代の近江資本を素とする企業にその精神が受け継がれているということはよく知られています。そして併せて、他に慈善を施すが、それを人に明らかにしないという“陰徳”の精神も、一部の現代企業化の中に受け継がれています。

 近江商人の公的施策については、現代のCSR(corporate social responsibility)の源流だと評されるのですが、陰徳とは、他人にその実行者を明かさないのでそのように呼ばれているのであり、現代の「わが社はこのような社会貢献を行っています」と声高にテレビコマーシャルで強調するのとは、随分と違います。近江商人の慈善活動を表彰したところ、以降は匿名にされたと伝えられています(小倉榮一郎著『近江商人の経済管理』〈1991年〉より)。

 近江商人の大規模な慈善事業としては、中井正治右衛門が瀬田の唐橋の再建(1815年)に3,000両(およそ6億円)を寄付したとか、二代目藤野四郎兵衛が天保の危機の際に米数千俵(1石≒4万円で換算すると、1憶円程度)を“飢饉普請”として供出したという話が伝わっています。ただし、その規模は、福井藩三国湊の豪商内田家のそれと比べると、相当控えめであると言わざるを得ません。

 どうして、北前船廻船問屋の慈善活動が、近江商人のそれより活発であったのかと言うことを論じた学者はいませんが、しかし、推察する手がないわけではありません。『陰徳の豪商の救貧思想』を著した大塩まゆみは、廻船問屋の信仰心が篤かった理由として、「難破や破船の危険の多い北前船の廻船業者にとって、無事に一航海を終えられるかどうかは、まさに運次第であった。そして、荒れ狂う海を航海する経験から、自然の脅威を知っていた」ので、安全を人ではないものの力に頼ったのも当然であったのではないかと書いています。そして、それはそうだ、と小塩丙九郎も思います。浄土真宗では、報恩(ほうおん;仏の恩に報いること)ということを言います。強い報恩の思いが、篤い慈善に繋がったと考えれば、納得がいくのです。

 以上に、細かく北前船廻船問屋が行った慈善活動の歴史を紹介したのは、日本にはキリスト新教、ことにカルヴァニズム、に基づく近代資本主義の発展はなかったのですが、カルヴァニズムに酷似する経済倫理が江戸時代に存在し、16世紀から17世紀にかけてのイングランドで展開されたブルジョたちの慈善活動に匹敵する救民活動を豪商たちが行った歴史があるということを、若い皆さんにに確認してもらいたかったからです。

 そしてこのような歴史を日本が持っているということは、大経済破綻後の日本の復興のあり方を構想する上で、一つの大きなヒントになる、と小塩丙九郎は考えているのです。

2017年1月4日初アップ 20〇〇年〇月〇日最新更新
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