小塩丙九郎の
歴史・経済データバンク

19. 日本の経済倫理の発展と挫折


〔1〕日本の商人が示した慈善の精神

(8) 北前船廻船問屋の壮大な救民活動(中編)

 北前船廻船問屋の内田惣右衛門の慈善の観念は、一体何に根差しているのでしょうか? 資料の根拠を得ていませんが、恐らく惣右衛門が自身浄土真宗の敬虔な信者であったのか、或いは浄土真宗の教義に強く影響を受けた日本海地域の精神文化を自らのものとしていたからであろう、と小塩丙九郎は推測しています。なぜなら、惣右衛門が住んだ三国湊〈みくにみなと〉は、浄土真宗繁栄の基礎を固めた蓮如が、京を追われて一旦故郷の近江に滞在した後、日本海地方に浄土真宗を広めるための拠点とした吉崎御坊〈よしざきぼごう〉に隣接した地であるからです。実際、蓮如が三国湊を訪れたという史実も確認されています。そしてそれ以降現在に至るまで、この地方では浄土真宗が盛んです。

 浄土真宗と法華宗(日蓮宗)の最大の違いは、法華宗が専ら現世利益を説くのに対して、浄土真宗は極楽往生を第一義とするということです。だからと言って、現世利益を説かないというではありませんし、商人の営利行為を賤しき行いとして認めないということでもありません。キリスト新教、ことにカルヴァニズム、のように、営利行為を善なる行為として盛んに勧めるということもありませんが、しかし否定もしていません。そして往生のためには阿弥陀如来〈あみだにょらい〉の本願を信じて現世で善行を重ねることを求めています。

 だから、営利事業で得た資本を自分や家(或いはイエ)の繁栄のためだけに費やすということは認めません。地域にあって同じく真宗に帰依〈きえ〉する者はすべて同胞であるのであり、それらのもの大切さは、家族の大切さと変わるところがありません。この辺りの教義のあり様は、カルヴァニズムのそれと瓜二つと言っていいほど似ています。

 それが、真宗が豪商に求める態度でした。そしてそのように、地域の人々は考えていました。先の慈善行為を歴代の中で最も熱心に行った六代目惣右衛門は、耕斎や大夢庵といった号を用いる歌人であるほどの教養人であったので、惣右衛門自身がどれほど深く真宗教義に帰依していたかどうかは分かりませんが、少なくともその教義が主張した禁欲、倹約、或いは同胞愛といった地域文化を積極的に受け入れ、或いは自らその模範たりたいと精進〈しょうじん〉していたであろうことは、先ず間違いがないであろうと思うのです。

 日本海で、惣右衛門と似た行状が記録されている者としては、別に庄内地方(現山形県)きっての豪商であった本間光丘〈ほんまみつおか;1732-1801年〉がいます。光丘が定めた家訓(1770年)には、神仏への信仰や質素倹約の美徳、文武両道・忠孝精神、郷里への尽力等の10ヶ条があります。その中で目を引くのは、「慈善を旨とし、陰徳を重んずること」です。本間家は、代々この家訓・家憲を守り、真宗への信仰を篤〈あつ〉くしていました。

 つまり、現山形県から現福井県にかけて、北前船廻船問屋が活躍した日本海地方では、キリスト新教、ことにカルヴァニズム、によく似た教義をもった浄土真宗が広まっており、大資本を得た豪商たちが、他の地域には見られない大規模な慈善活動を展開したのです。

2017年1月4日初アップ 20〇〇年〇月〇日最新更新
©一部転載の時は、「『小塩丙九郎の歴史・経済データバンク』より転載」と記載ください。



end of the page