小塩丙九郎の
歴史・経済データバンク

15. 市場の不自由化を進めた戦後体制


〔2〕為替政策の始まり

(3) “国際分業”と為替レート管理の始まり

 経済学者の間には、「国際分業」という概念に基づき考える者が多くいます。世界各国は、それぞれに与えられた資源、技術、或いは産業発展の段階が大いに異なるのであるから、すべての工業国がすべての産業分野について一様に競争することは無益であるし、すべての分野について競争を挑む国に有利な結果を産み出すことはない、自ずと適正な国家間の分業体制ができあがるはずだという風にこれらの人々は考えます。

 1940年代か1950年代にかけて、日米両国の経済学者の多くがそう考えていました。アメリカの経済学者は、少なくとも暫くの間は、日本は繊維産業やおもちゃ・日用品などの軽工業品を主要産業として経済復興を考えるべきであり、また、日本の経済学者の多くや日本銀行官僚たちも、例えば、自動車産業、特に乗用車製造業、は国際分業の観点から日本が直ちに取り組むべき産業分野ではないと考えていました。そうであれば、アメリカの経済学者や実業家の意見を代表するアメリカ本国政府官僚たち(当時すでに、アメリカ本国官僚とGHQ政策者の見解は既に大きく乖離していました)が、日本の機械産業の発展をより有利にしようとは考えなかったでしょう。

 1ドル=360円という単一為替レート設定は、そういう風にアメリカ人たちが考えた結果であるのではないかと推測すると、余程合点がゆくのです。日本が乗用車を含む自動車産業を開発することについてアメリカが理解を示していたという意見がありますが(例えば、山崎修嗣著『戦後日本の自動車産業政策』〈2003年〉)、しかし、それは当時の日本国内市場向けを考えてのことであり、アメリカに対する輸出については、長い期間にわたって困難である状況を確保しようとしていたのではないかというのが小塩丙九郎の推測するところです。それは、自動車以上に強い国際競争力をもっていた鋼船についての円高修正率が大きい(1ドル=500円→360円と4割近くも円高になった)ことにも表れています。

  • アメリカが1ドル=360円としたのには、何らかの戦略や意図があったはずだ。

  • 日本の経済学者は、1ドル=360円が高い、安いと騒ぐだけで、アメリカの意図を推し量った報告書を書こうとした気配がない。

 アメリカ本国の経済学者や実業家、或いは政府官僚たちはそのような概念についておおよそ共通の考えをもっていたのに対して、一方、日本では、例えば川崎製鉄の最新型千葉工場や自動車産業における乗用車開発について、国内で意見が大きく分かれていました。そのことが、日本人経済学者の間で、1ドル=360円単一為替レートの評価についての意見のおおいな相違を呼んだと推量されます。

 しかし、1950年代以降の日本の機械産業を中心とした重工業の発展を日本経済の発展にとって最も重要なのであるとするのであれば、そしてそのことに間違いはないと小塩丙九郎も考えますが、1ドル=360円は、既に円高状態にあったと言うべきです。先に紹介した小宮の「大幅に円高」との評価の根拠を示す原典を確認できないので、小宮の考えの根拠を知れませんが、小宮もそのように考えたのではないでしょうか? 

 しかし、1ドル=360円に円/ドルという円/ドル為替レートは、実質的に一定に保たれたわけではありません。日本とアメリカの物価の変動が同じようであれば、常に円とドルの相対価値は変わらないのですが、一方の通貨が他方の通貨よりインフレ率が高いと、前者の通貨が値打ちが少なくなっているのに、後者の同じ量の通貨と交換できるのですから、前者の通貨が相対的に価値が高くなっていることになります。そしてこの時代は、日本の通貨、円、のインフレ率がアメリカの通貨、ドル、よりインフレ率が高かったので、実質的には円高が進みました。

 ただ、この時期の統計では、卸売物価と小売物価(東京での小売物価)の推移が統計上大きく違っているので、その両方についてアメリカの消費者物価との変化の違いを勘案して実質円/ドル為替レートを計算してみました(下のグラフを参照ください。なお円/ドル為替レートを見るときは、上方が円高方向になるように縦軸の値を逆転させていますので、注意してください)。そうしたところ、途中の変化は随分と違うのですが、1960年代半ばにはその差は縮小して、1ドル=270円から300円ほどになっています。つまり、円/ドル固定為替レートを決めたときより、60円から90円ほど円高になっていたということです。その分、外国からの原材料輸入原価は下がり、輸出価格は上昇したということになります。

実質円/ドル為替レート
出典:日本の物価については、日本統計協会著『日本長期統計総覧 第4巻』(1988年)掲載データを、アメリカの物価についてはアメリカ政府のHP掲載データを使い、上記データを計算してグラフを作成。

 ただしかし、この頃の日本の政府官僚も、経済学者も、名目の1ドル=360円の固定レートを語るのみで、実質的な円/ドル為替レートの変化については、何の発言もしていません。そしてこのとき以降、これらの人たちは、名目の円/ドル為替レートのみを基準とした為替政策のことを言い始めます。そしてその頃には、なぜだか1ドル=360円のレートを固定することが重要だと言い、そして現代になっては、実質レートの変化には何の興味を示さないで、名目為替レートを円安にすることが日本の輸出産業を支援することになると言うのですが、これは経済学的にはまことに奇妙な姿勢だとしか言いようがありません。


 そしてここでのポイントは、そのような奇妙な日本政府官僚と経済学者の態度は、この頃に始まったということです。言い換えれば、名目為替レートのみを議論の対象とするというのは、官僚による市場管理、そしてそれには為替レート管理も含まれるのですが、が必要だと考えるマルクス経済学者たちの姿勢であり、それが今日にまで引き継がれているということです。

 そして、この科学的でない奇妙な実質為替レートではなく名目為替レートにのみ拘るという官僚と経済学者の姿勢は、後年、日本を重大な危機に導くことになります。そしてその後年とは、2020年を間近に控えた現代のことです。

2017年1月4日初アップ 20〇〇年〇月〇日最新更新
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