小塩丙九郎の
歴史・経済データバンク

14. 日本の第2の大経済破綻


〔2〕技術者教育は軽視され続けた

(6) 工作機械は最後までアメリカ製頼り

 産業技術開発という点から見ると、最先端技術のほとんどは武器については陸海軍工廠、鉄道については官営鉄道によって開発され、それが技術者の高い移動率によって財閥企業を含む民間企業に伝搬していきました。しかし、問題であるのは、この官から民へという技術開発伝搬の流れが、いつまでも止まなかったことです。

 陸海軍工廠や官営鉄道の工場での工作機械や部品の内製率、つまり自分の工場で製造し供給する率、はすこぶる高く、現代の自動車・電気産業とは違って、周辺に部品・部材供給のための技術的に比較的自立した民間工場を育てるということをしませんでした。そのため、民間の先端技術工場の発展が大いに阻害されました。

 発注者からみれば、技術的成熟度の低い民間工場に重要な部品・部材を発注することは国防や安全を危険にさらすものと考えたのかもしれません。しかしだからこそ、用意周到な国全体での技術開発体制を整えることが必要であったのですが、しかし、東京帝国大学での法学部偏重に見られるように、政府の技術開発施策と民間企業育成施策は、まことに弱々しかったのです。もっとも実際には、自己の地位の維持・向上を求める力が多いに働いたのだろうと小塩丙九郎は疑っています。

 こうしたことによって、19世紀末から20世紀初頭にかけて造られた官主導、官中心の産業2層構造は、上部(官)が強まり、下部(自由な民間企業)が弱まるという方向にしか変化しませんでした。そして、技術軽視を続けた結果、産業技術の基本となる「機械を作る機械」としての高性能を有する世界水準に達する工作機械を製作する技術を、日本は遂に1940年代までに会得することができず、輸入に頼り続けました(下のグラフを参照ください)。

出典: 森清著『戦時下のまち工場』(有斐閣『技術の社会史5』〈1983年〉蔵)掲載データを素に作成
説明: 平時にあっても、国内での工作機械販売額に占める輸入機械の割合は大きく(4割程度)、一方国産工作機器は、ほとんど海外輸出できていない。

 国の産業技術の水準は、工作機械にもっともよく現れます。それは、工作機械の製作技術が他の製品より高度のものを要求するからですし、工作機械の精度が工業製品の性能を大きく左右するからでもあります。まさに、工作機械が、「母なる機械(mother machine)」と呼ばれる所以〈ゆえん〉です。このことの意味と、1940年前後の様子を著した当時の評論を見てみるとその様子が如実に分かるりますので、長文になりますが紹介します。

 「あらためて見なおす迄もなく、工場の設備、機械、資材の重要なものは殆んどと云ってよい程米国製のものであり、その中には米国の工作機械を対日禁輸を見越して大量発註し、危く滑り込みセーフで横浜岸壁迄たどりつき、工場へ持込んでからまだ荷造りも解いてないものさえあった。」(原典:奥村正二『ある機械技術者の戦争体験記録』〈『技術史をみる眼』《1977年》蔵〉、出典:森清著『戦時下のまち工場』(有斐閣『技術の社会史5』〈1983年〉蔵)

 急増した国産工作機械工場は、民生品の生産から撤退した機械工場でした。技術も急場ごしらえと言うしかありません。

 「国産工作機を米国からの輸入工作機と対比した時、何と大きな差が現われたことだろう。国産機械の摺動面の一年間の磨耗は米国機械の磨耗の十年分に匹敵した。精度は一、二ケ月で急速に低下した。(略)最も寒心に耐えぬのは歯切機械であった。精密な歯車の多量生産は米国からの輸入機械に頼る外ない実情であった。」(同上論文より)

 工作機械を多く使う町工場を経営し、或いはそこで働く職人と呼ばれる職工たちは、日本の機械技術がアメリカのそれよりはるかに劣ることを身に染みて知っていました。しかし、その知識と感覚を、当時の軍官僚も、多くの経済・政治学者も、そしてマスコミや国民も共有していませんでした。そしてこの知識は、現代の多くの経済学者や歴史学者たちにもまだ伝わってはいません。

  • 日本の部品の規格は最後まで統一されず、精度は最後まで向上しなかった。

  • 大量生産工程は、最後まで完成されず、ひたすら職工の腕に頼り続けた。

 ただ、数少ない例外のうちに入るのではないかと思いますが、豊田喜一郎は、自動車産業へ進出するに当たって、工作機械の不備が日本での自動車産業振興について大いなる欠点であると気付き、鋼材と並んで工作機械をも内製しました。そして、それから17年後のトヨタの技術を支えた技術者の一人である斎藤尚一(当時常務)が、まったく同様のことをアメリカのフォードなどの工場で発見し(1950年)、そしてその後、自前の技術開発に励んでいます(トヨタ自動車HP『トヨタ自動車75年史』より)。

 トヨタが、現在世界一の座を守っているのは、トヨタ一家の卓抜した産業技術についての卓見が伝統的に生き残っているからであると言っていいでしょう。しかし、この認識を、多くの1940年代前半までの、そして現在の、経済学者や歴史学者、或いは政治家は共有してはいません。

2017年1月4日初アップ 20〇〇年〇月〇日最新更新
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