小塩丙九郎の
歴史・経済データバンク

12. 日本初の大経済破綻


〔1〕幕府が招いた大経済破綻

(9) 縮小を始めた幕府経済

 物価、人口の次に、マネタリーベース(貨幣流通総額)の変化について検討してみます。経済が成長すれば、マネタリーベースは増えるはずです。中央政権が、経済が成長してもマネタリーベースを増やさなければデフレとなり、経済成長は止まってしまいますが、江戸時代後期の幕府は、出目(でめ;改鋳収益金)を得るために重さや品位を落とした金・銀貨を発行してマネタリーベースを拡大する一方であったので、ここではそのことは気にしなくていいということになります。

 経済学には貨幣流通速度という概念があり、マネタリーベースにこれをかけるとおおよその名目GDPが推計できます。貨幣流通速度とは、1年の間に1つの通貨が市場を巡る回数のことです。例えば、西川俊作は、17世紀末の貨幣流通速度はおよそ1.8回/年と計算しています。そしてインフレ率がわかれば、それで名目GDPを割れば実質GDPが計算できます。そこで、貨幣流通速度が変わらないという仮定を置けば、マネタリーベースと物価変動の2つの数字がわかれば実質GDPの変化をおおよそ推計できるということになります。そして、歴史経済学者がマネタリーベースについての統計数値を提供してくれています。

 そこで、小塩丙九郎もそれらのデータを使って実質GDPを計算してみましたが、結局うまくいきませんでした。もちろん計算結果は得られたのですが、それと経済実態との間の関係をどうにも科学的、合理的に説明できないのです。ということは、貨幣流通速度がおおよそ変わらないという仮定に無理があるのだということになります。

 実際、幕府が金・銀貨の改鋳を行えば、そこで通常とは違う新旧通貨の交換ということが行われるので、そのことがある程度通貨流通速度に影響を与えることもあったのではないかと推測できます。幕府は新旧通貨の交換を急ぐ、商家は品質の悪い通貨への交換を渋る、どちらの勢いが勝るのか、知る由がありません。その他、通貨交換にまつわる様々な投機的取引も行われたことでしょう。そのことがどのよう影響を市場に与えたか、それもわかりません。

 それでは、マネタリーベースのデータを与えられても、そこから何も重要な情報を得ることもできないないのでしょうか? それは、残念なことです。しかし、1つ重要な情報を得ることに成功しました。それは天保の大飢饉が発生し、或いは天保の改鋳が行われたそのときの直前に当たる1830年頃をピークに、名目マネタリーベースからインフレ要素を取り除いた実質マネタリーベースが減り始めていることが複数のデータ系列より観測されたことです。しかもその減少率は、貨幣流通速度の若干の変動を気にしなくてもいいほど大きなものです(下のグラフを参照ください)。

幕末の実質マネタリーベース
出典: 新保博著『近世の物価と経済発展』(1978年)掲載された複数の系列のデータを使って算出した。短期推計の基にしたのは、新保博の示した貨幣流通量と大阪両建換算卸売物価指数(実質通貨流通=貨幣流通量/大阪両建換算卸売物価指数として計算)。 長期推計の基にしたのは、岩崎勝の示した貨幣流通量(1818年、1832年、1858年について)と大阪米卸売物価(新保著前述図書館末のデータ表にあるもの)(実質通貨流通量=貨幣流通量/大阪米卸売物価指数として計算)。

 このことは、少なくとも幕府の直轄地及び幕府の力が強く及んでいる関東・東北地域については、経済が減退し始めているということを強く示唆しています。それならば、今まで見てきた物価変動の様子、人口変化のあり様、そして幕府財政の悪化の様子や幕府官僚の混濁のあり様についての情報とピタリと一致しています。

  • 1930年をピークに、幕府経済は縮小し始めた!

 ここから小塩丙九郎は、1830年頃から、幕府の直轄地及び幕府の力が強く及んでいる関東・東北地域については、経済が縮小し始めたのだ、と結論づけました。

2017年1月4日初アップ 20〇〇年〇月〇日最新更新
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