小塩丙九郎の
歴史・経済データバンク

12. 日本初の大経済破綻


〔1〕幕府が招いた大経済破綻

(4) 破綻した幕府財政

 8代将軍吉宗は、享保の改革を行い米の年貢率を上げ、人々に倹約を強いて、さらに商工業者に価格抑制や新商品の発売を禁じています。つまり、歳入を増やして歳出を抑制するということです。確かにそれで一旦は、幕府財政は黒字に戻ったのです。

 幕府には、通常年には予算・決算書をつくる慣習がありませんでした。つまりドンブリ勘定で、幕府財政は運営されていました。そのことは、幕府財政が赤字に陥った一つの原因だと思います。しかし例外的に、大改革を実施する時にだけ、予算書をつくっています。

 吉宗が将軍に就いてから15年目に当たる享保15年(1730年)の幕府の歳入・歳出については、そういうわけで記録が残されています。それを見ると、歳入総額は79.9万両、歳出総額は73.1万両で6.8万両の黒字です(下のグラフを参照ください)。そして歳入総額のおよそ3分の2(63.7パーセント)は米年貢による収入です。農本主義者吉宗の面目躍如たるところです。


幕府歳入予算


幕府歳出予算
出典:飯島千秋著『江戸幕府財政の研究』(2004年)掲載データ等を素に作成。

 しかし、吉宗の税率アップ政策は農民の激しい強い反発を呼び、百姓一揆が頻発して、やがて幕府は実効税率を吉宗以前の3割にまで戻すことを余儀なくされました。そして幕府財政は、再び赤字体質に戻りました。そして米年貢による増収が難しいと見た田沼意次は、商工業者にカルテル運営を認め、保障した高利益の中から幕府への税の納付を命じました。

 それでは、その結果幕府財政は改善したのでしょうか? まったくそうでないことは、水野忠邦が進めた天保の改革の最終年に当たる天保14年(1843年)の予算書を見てみればたちどころにわかります。この年の歳入総額は94.7万両(その間に物価変動があったので、インフレを考慮して1730年価格に割戻計算した値)に対して、歳出は88.7万両ですから、一見、6万両の黒字であるように見えます。しかし、94.7万両の歳入総額のうち、そのおよそ4分の1に当たる24.2万両は改鋳収益金だとあります。つまり、出目〈でめ〉です。

 出目は、既存の金・銀貨を回収して新しい金・銀貨と交換して、その時に品位を落とす、つまり貨幣に含有される金や銀の量を減らし、その差分を新金・銀貨として発行して、それを幕府の収益とするというものです。例えば、天保8年(1837年)には、文政小判(1819年以降発行)を回収して天保小判を発行していますが、前者が重さ3匁、品位56.8パーセントであったのものが、後者では重さを前者の8割として2.4匁としています。結果、前者の金含有量が1.70匁であるのに対して、後者の金含有量は1.36匁にまで減っています。このとき、品位を落とさなかったのは、文政小判の品位が既に下限にまで下げられており、それ以上品位を下げることができなかったからだと思われます。

 つまり、6万両の黒字に一見見えるこの年の幕府財政は、実質的には18.2万両の大赤字ということになります。万両という単位を兆円という単位に置き換えてみて、改鋳収益金を赤字国債という文字に置き換えてみると、現代のどこかの国の財政によく似ているなと思いませんか? そう、1840年代の日本と2010年代の日本の国家財政の形は瓜二つだ、ということです。

  • 官僚の賃金支払い額(切米・役料)が2割減っているのに、歳出総額が2割増えている。

  • 歳出予算の本当の実態が、隠されたのだと思う。

 1730年の幕府予算と1843年の幕府予算を見比べるともう少し別のこともわかります。吉宗は米年貢を4公6民から5公5民に改めて、米年貢による税収を25パーセントも増やしたはずなのですが、1730年の米年貢収入が50.9万両であるのに対して、1843年のそれは30.7万両へと4割も減っています。そして、意次が懸命に集めようとした商工業者からの税(冥加金と運上金)は、主な税項目としては上がっていません。吉宗も意次も、幕府財政の抜本的立て直しということについては、結局何の成果もあげられなかったということです。

 吉宗と意次が目指した幕府財政の改善は一向に叶わず、そして市場の自由を奪われた産業はまったく発展せず、世は先ずはデフレが常態化し、しかし改鋳差益を得るための悪貨の発行が続いたために、そのことによるインフレ圧力がデフレ圧力に勝り、やがて日本はインフレが進行する社会になっていったのです。但し、このときのインフレは、経済が成長することによって進行する良性の緩やかなインフレというのではなく、悪質な国家の財政・金融政策がもたらした悪性のものでした。

2017年1月4日初アップ 20〇〇年〇月〇日最新更新
©一部転載の時は、「『小塩丙九郎の歴史・経済データバンク』より転載」と記載ください。



end of the page