小塩丙九郎の
歴史・経済データバンク

17. バブル崩壊の背後にあるもの

〔3〕 トヨタの技術はどう革新的なのか?

(3) トヨタの技術をありのままに評価する(前編)

 トヨタの生産方式が優れていることのエッセンスは、工場の生産方式の進歩にあるというより、ライカー自身も認めているように、生産現場の改善について、トップを含む組織がよく機能しているという点にあり、多車種大量生産方式を採る段階でGMが陥った官僚主義体制にはまることを免れていることが、最も重要な長所ではないか、と小塩丙九郎は考えています。

 1970年以降、アメリカの企業経営者にはMBA(master of business administration: 大学院経営学修士課程卒業生)が就く機会が増えました。彼らは、現場を経験せずにいきなり経営幹部(部長や役員)になりますし、或いはエンジニアリングの素養にも欠けていることが一般的です。よくできたコンピュータが管理し集計した工場の状況を現実のすべてだと考えがちになり、現場で実際に何が起こっているのかを、現場の技術者や工程管理者と語り合うことがほとんどありません。

 1970年以降、アメリカの自動車メーカーが工場生産の自動化を進めるために多用したのがバッチ・システムであることは既に説明しましたが、部品によってまとまりの大きさや生産に要する時間単位が違うので、生産ラインの切り替えに要する時間や保管倉庫の容量が増すことになり、工場の生産リード・タイム(新たな製品をラインに乗せるのに要する準備時間)が長くなった上に、生産コストが上昇しました。しかし、経営者と現場の繋がりが悪かったので、この問題に気づく者もいませんでしたし、経営者たちもコスト上昇の問題の所在に気付きませんでした。そして、経営者と現場の技術者や、ことに労働者との距離の長さが、技術者や労働者のやる気を削ぐことになりました(H・トーマス・ジョンソン著『トヨタはなぜ強いのか』〈2002年〉より)。

 つまり、スローンが産んだ企業官僚体制の弱点が、日本やドイツの自動車メーカーの挑戦を受けて、表面化したのです。問題の要点は、ハード(生産方式)にではなく、ソフト(組織の構築と運営)にありました。そして、日本の企業組織は、幾重にも“日本的”なのでした。

 トヨタはアメリカの労働組合が忌避する多機能工を多用することによって独特の生産方法を産み出したと言われますが、アメリカの自動車産業は、工場労働者の熟練作業をできるだけなくすことによって製品精度を維持しつつ生産性を高めるという方法を採ってきました。しかし、同じ時期の日本の自動車メーカーは、寸法の厳格な規格化や治具など専門加工機械を開発して工数を減らすという技術に劣っていたので、それを熟練工の的確に適合しない部品どうしを摺り合せる補修作業で補っていたというのが現実です。多機能工の多用というのは、その延長上にある方法であって、それが一方的に優れているといった類のものではありません。

 また規格化を追求してもどうしても自動化が最も難しかった最終組み立てラインでの労働者依存を減らすためにロボットを導入したのもGMが最初であり(1969年、オハイオ州ノ―ウッドのフィッシャー・ボディ工場で)、日本の生産方法開発が、殊更革新的であるとまでは言えません。それ以前の1950年代より、GMやフォード社は、自動加工機械を工場に持ち込み、それをトランスファーマシン(素材から加工の順を追って部品を移送していく機械)でつなぐという方法で、工場の労働者依存度を大幅に下げることに成功しています。

2017年1月4日初アップ 20〇〇年〇月〇日最新更新
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